休む。

ウィキブレイク(wikibreak)という言葉がある。ウィキメディア・プロジェクトのジャーゴンで、ウィキペディア(や他のウィキメディアプロジェクトのウィキ)の編集を休むこと。長期にわたるものはウィキバケーション(wikivacation)やウィキホリディ(wikiholiday)ともいわれる。まれに休暇に出掛けたきり戻ってこない人もいて、生死に関わるようなことがあったのかとやきもきさせられるが、大抵は数日から数ヶ月、長い場合は数年後に戻ってくる。なお広義のウィキブレイクはウィキメディアに関わる一切からの隠棲だが、狭義にはウィキの編集のみを指すので、休暇中とはいってもIRCやらSNSサイトにあるプロジェクトの周辺コミュニティで、うだうだとだべっている人も結構いる。

これもジャーゴンでウィキストレス(wikistress)というのがあって、ウィキメディアに関わることどもでストレスが溜まっていくことをいう。世界中のすべての人に人類の知識の総和を届けるという高邁な理想を掲げても、それを担っているのはわたしたち凡俗で狭量な人間である。あるいは理想に拘ればこそお互い譲れない局面もあって、四つに組んだ論戦が続けばやはり疲弊もする。顔を見知った同士なら、まだお互いの善意を信じやすいといっても、相性の合わない相手はやはりいて、また自分にとって大事なことであれば面識の有無など問題になりはしない。そうしてあるドイツ人ウィキメディア*1がいったことだが、そもそも編集というのは苦痛に満ちている("editing is painful.")。さまざまな意見の相違と感情の行き違いは、プロジェクトに長く関われば関わるほど、澱のようにつもっていく。

突発的なウィキブレイクはそうしたストレスの所産として起こることが多い。多い、と書いたのはそうでない場合もあるからで、プロジェクトと関わりのない現実世界のストレスで何もかもいやになってプロジェクトも放り出すということだってある。失恋・死別・離婚・解雇・流産……世の中しんどいことには事欠かない。そうしたときに「ウィキペディアかよおめでてーな」という気分に襲われることは、プロジェクトの中核にいる人たちにだって起こるのである。

またストレスが溜まればミスも生じやすくなる。省みれば明らかに自分の判断ミスだなということどもは私の来し方にもいくつかあり、私の場合はコミュニケーション上のミスにつながることが多い。事後処理をしながら、まあ大抵の場合はその人とも和解できるのだが、そうでない残念な場合もないではない。

そういった過去の過ちのうち、あるトラブルの事後処理のときに「しばらく休みなさいよ、あなた疲れてるのよ」といわれたことがある。いったのは古い友人だし、プロジェクトの組織上いわば上司に当るような立場にいた人だから、忸怩たる思いではあるが、私はそれを受け入れざるをえなかった。それで3週間くらいプロジェクトを離れていたのだが(その間、IRCには出入りして、他愛のないおしゃべりを英語やドイツ語で交わしていた)、そこでいくつか気がついたことがある。

まず、休むということは、ある文化圏では純粋によいことで、どころか褒賞の一種であるようだということ。当時プロジェクト内のタスクフォースみたいなのに幾つか関わっていたこともあり、休むということを私はプロジェクト内メーリングリストで公表したのだけれど、好意的な返事をいくつかもらった。「愉しんでね」「充実した休暇になるといいね」等々。そのなかで印象に残っているフレーズがあり "you deserve holidays" 直訳すれば「あなたは休暇(を取る)に値する」――たくさん働く人は、またたくさん休暇を取るにふさわしいのだという価値観がそこにはあって、加えてそもそもがボランティアプロジェクトへの参加は自発的な意思によるものだから、いつ休んでもいいのである。まったくプロジェクトから手を引くという人を引き止めるのとは違って、休暇を取るというのは純粋に祝福されるに値するなにものかであるのだった。

そうして、その3週間ばかりの長い休暇で、最初はプロジェクトのことをあれこれ考えもしたけれど、自分には他にもいろいろな関心と必要と関係があるのだという、ごく当たり前のことが思い出されてきた。それを私は頭では分かっていたつもりだったが、実際に経験したことはないのだとそのとき初めて思った。数日間、いろいろなことをしながらプロジェクトのことをまったく忘れていた自分を、そこで私は初めて見出したのだ。そうして、その休暇を通じて、自分が、どれだけ精神的にも肉体的にも*2回復していたのか、そのことにも驚かされた。休暇の最後のほうになって、自分にはほんとうに休暇が必要だったのだということを、私はそこで納得したのである。

しかし自分にとって休暇中見出したことのうち一番大きな意味をもつのは、休暇の観念的なよさでもなく、実用的な効能でもない。プロジェクトとそのコミュニティが自分にとってもつ意義の発見だった。「ぼくには帰る場所がある」というそのことが、3週間の休暇を通して実感された。究極には自分が関わらなくても、プロジェクトは動いていく。けれども、コミュニティのメンバーの数人は、とりわけ同じチームで活動しているボランティアは、私が加わることでもっとよい仕事が出来ると信じてくれていて、私も彼らと一緒に活動できることを嬉しく誇りに思う。メールの受け答えやあるいはプレスの記者との受け答えからは、自分たちの活動が社会的な意義を持っているのだと感じられもする。けれどもそういうことを超えて、自分はほんとうにプロジェクトを、コミュニティにいることを愉しんでいるのだということが、休暇を終えてプロジェクトに復帰したときに、しみじみと感じられた。

だから、私は休むことをいま恐れないし、また人に休むことを積極的に勧めることも恐れない。それは沈黙でもないし撤退でもない。人にはときどき休息が必要なのである。ただそれだけのことだ。その手を休めて、ただ静かに己の手の技を眺め、その果実を味わう、そういう時が誰にだって必要なのだ――まあ、長い休みはそれはそれで不安の種になるというのはまた別の話として。

いま私は2ヶ月余のウィキブレイクから復帰しつつある。これだけ長い休暇は2004年にウィキメディア・プロジェクトに参加して以来始めてだったように記憶している。またそれと前後してはてなダイアリーで定期的にブログを付けてきたのだけれど、日本語でこれだけの長期にわたり大量のものを書くというのは fj.* に投稿していたとき以来だったように思う*3。日本語で書くというのは、英語で書くのと違った意味で気を配る作業であって*4、けれどもやはり母語でいろいろなことを書く、とりわけ自分の感情や私的な思い出について書くというのは気持ちをのびやかに解放してくれるのだと改めて知らされた。プロジェクト・コミュニティにどれだけその個人的な体験を還元できるかはまだ分からないけれど、母語コミュニティの重要さということを改めて認識したことは確かである。

3ヶ月余のいわゆる「はてな村」での活動で、友人とこちらが勝手に思う人も何人か出来た。なかにははてなでの活動をやめてしまった方もいる。けれども、わたしはそのことに失望したくはない。ご縁があれば、いつかまたどこかであうだろう。私のウィキブレイクがはてなでの色々な経験につながっていったように、その方々のはてな休みが他の領域での実りある日々につながることを祈っている。

一日一チベットリンクhttp://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2009030900453

*1:User:Elian こと Elisabeth Bauer.

*2:変な話だが、ストレスが筋肉の緊張にまで及んで、その頃私の肩はもうパンパンに張っていた。あるいはキーボードに向う時間が単純に長かったのかも知れない。

*3:追記:論文はどうかなあと思ったけれども、数ヶ月かけて40枚程度のものを書くというのはあまり大量の書き物という気はしない。そうして論文を書くというのは私にとっては内に沈溺しそこから再び浮上を試みる作業であって、外に語りだすというブログやネットニュースでの語りとはまた違うように思われる。

*4:とくに適切なポライトネスということは日本語を使うときいつも付いて回る。わたしはどちらかといえば丁寧な言葉遣いが好きだし、普段は親称と敬称の区別もない英語の粗雑さにあまり好意的ではないのだが、英語のある種の雑駁さが気持ちよいときがわたしにだってあるのだ。