ブルームの日に

淡く光る空にすこしの雲が漂う。夕映えの光に照らされて紅色に輝いている。西にみえる山の稜線がいっそう際立ってみえる、そんな夏の遅い午後。

夏至も近いこの日、今日もなんということもなく、終わろうとしている。普段どおりゲーム三昧で、金曜からはもうひとつ新しいのを始めるので、さらに無為の中に沈む毎日が続くだろう。そんな懶惰の日に昨日読んだはてな匿名ダイアリーのあるエントリがふと思い浮かぶ。

自分にもまた夢をみた若い日があったことを、そのエントリで何人の人が思い出しただろうか。翻って省みるに、夢をなにか断念したという気持ちは自分にはない。もともと職も地位も求めたわけではなかった。学位はとってないけれど、それは夢というのとたぶんすこし違う。研究職に就きたいと思ったことはもちろんあったけれど、研究ができればよいのであって、その他の公務をしなくていい在野というのはそれはそれで気持ちが良い。

そのことはおいて、突き詰めて考えてしまえば、今の自分には大学という組織はもっとも疎遠なもののひとつであり、ある意味ではもっとも遠ざけておきたいものでもある――それは畢竟わたしの夫を殺した、死に追いやったものに他ならない。大学職員であった彼は、うつ病を病み、休職もままならないうちに職場で自ら墜ちて死んだ。そのことはすでに何度か書いたのでここでは詳述しない。

いや組織ではないな。物理的にだめなのだ。母校のキャンパスが。もといた大学に顔を出すたびに、しばらく体調をくずす自分がいる。他の大学に研究会や学会で足を運んだときには、学部での母校をも含めてそのようなことは起こらないので、きっとあの物理的な場所といろいろな造作が、自分にとって何かの引き金になるのだろう。

とはいえ、自分の青春の日、緑滴るキャンパスの思い出を、恥ずかしいというのでは足りない愚行と短慮とともに、悔やみきれない様々なことどもの記憶とともに、美しく優しい思い出に彩られたものとしても自分に許してもいいのではないかと、思えてきたのも確かである。

母校のキャンパスに顔を出すことを躊躇する自分がいる。体調を崩すことだけではなく、その場所はいろいろな感情を私に呼び起こす。彼の死だけでなく、彼と過ごしたさまざまな時間。そして彼がもういないという、そのことが痛切に迫ってくる。その場所は夫の終焉の地であり、その土は彼の血を文字通り吸っている。キャンパスで死後まもないところを発見された彼の死体は、そうとはしらぬ通りすがりの人の連絡で、救命医療センターへ移送されたのだ。彼の死体がえぐった生垣をみるたびに、なにか生暖かいものが自分のなかでうずくのを私は感じてきた。学校へ書籍や論文を閲覧しにいくたびに、研究会で足を運ぶたびに、そのあと数日、ことによれば数ヶ月、とうてい他人とあう気が起こらないような、そうしたひどい落ち込みを迎えた。この8年間、ずっとそんなことを繰り返してきた。

また同じことの繰り返しになるのかもしれない。けれども再び大学へ足を運んでみたいとおもった。ずっと気にかかっているテーマについての書籍を手にとり、あるいは新着の論文誌を手にとってみてみたいと思った。自分の時もまた動きはじめようとしているのかもしれない、そんな淡い期待が心に浮かんできた。それはたんにまだ挫折を受け入れられていないモラトリアムなのかもしれないけれど――でも過去と和解するために私にはそれが必要なのだろう、あの大学のキャンパスに普通に足を運べるようになる、そのときに、私は過去と、また私を棄てて逝った人と、真に和解できるのではないかと思える。

ユリシーズ 1 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)

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