Gewaltapparat の初出?(追記あり)

結論からいうと私にはわからないんですけどね。Grimm の Deutsches Woerterbuch 第1版にも出てなかったし。

でも Gewaltapparat がヴェーバーと関係ないってのはないとおもうな。暴力装置のほうは知らないけど。

おそらくこの「暴力装置」という言葉は福田歓一の影響であろうと思われる。上にみたようにヴェーバーの独占について述べた箇所には装置という意味合いは含まれていない。このようにして、「暴力装置」という神山茂夫の用語は、左派、右派含め広まっていき、そして今や社会学用語集や政治学の教科書にまで掲載されるようになった、というわけである。

http://d.hatena.ne.jp/catisgood/20101121/1290326392

百歩譲って日本語としてそうなのかもしれませんが、Google Books に収録されてない論文などいくらもあるでしょう(苦笑)。しかし即席に調べるにはなかなかよい手法ですね。

というわけでわたくしも調べてみました。Google Books で暴力装置に対応するドイツ語 Gewaltapparat + "Max Weber" を検索します。すると2001年刊行の Gesamtausgabe, Volumn 22 (『マックス・ヴェーバー全集』第22巻) に

... innerhalb des politischen Gewaltapparats unmöglich eine Stätte finden können. ... mit dem allen politischen Bildungen zugrunde liegenden Gewaltapparat hat die verschiedensten Arten von Spannung und Ausgleich gezeitigt. ...

Google Books snippet v. Max Weber, Wirtschaft und Gesellschaft in Max Weber Gesammtausgabe, Bd. 22-1, hrsg. Baier et al, Mohr, 2001.

とあるそうです*1。いちおう中身も見てみた。390ページにあります。どうみても本文中です。Weber の言葉です。編者注釈とかじゃなくって。

Other editions という機能があって、それによれば Wirtschaft und Gesellschaft, Volume 3, Part 1, 1925 (『経済と社会』第三巻、第一部)というのが書名なんだがスキャンされた表紙には Grundriss der Sozialoekonomik (「社会経済の基礎」)とあります。イキ副題かね。TBいただきました。書名が『経済と社会』副題が「社会経済の基礎」だそうです。

22日追記: zeno.org(というドイツ語のオンライン原典集)をみると、むしろ『社会経済の基礎』が書名で「経済と社会」が収録論文名らしいそして Weber は1920年没なのでこれは遺稿集なんですかね*2。正確には「経済と社会」第二部第五章「宗教社会学(宗教的団体の諸類型)」第11節「宗教的倫理と『世界』」に登場する。ええと、ということはid:t-kawaseさんの領域なのかしらこれは(無茶ぶり)? 可能でしたらヴェーバーないし宗教学におけるこの著作の位置づけについて識者のご教示を希望します。追記ここまで。

ともかく、ここが初出かどうかは知りませんが、1925年刊行の Max Weber の著作にはすでにこの語が使われています。神山茂夫の1939年の著作」より14年も早いよね。かつこれは遺稿なので実際の使用はさらにそれ以前へ――1920年あるいはそれ以前へ――さかのぼります。それになにより、Gewaltapparat または複数形の Gewaltapparate でググったら、あほほど、ではないけど千のオーダーでヒットしますよ。ドイツ語だけでも。日本語だけのローカルな概念ではない、ということと1934年に考案された概念ではないだろう、ということは指摘しておきます。まあ神山の暴力装置と Weber の Gewaltapparat が直接関係するとは主張しないので為念(だって事情を知らないし)。

なおドイツ語としては Gewaltapparaten*3 と複数で使われることも多くて、さすがにこれは一般語ではないからか、括弧付けして「軍隊や警察」と補っているのを、いくつかみました*4

22日追記。私は社会学法哲学については勉強していないので、以下は雑駁な感想になるのだが、しかし Gewaltapparat というのはそれほど熟した概念ないし学術用語なんだろうかという素朴な疑問がすこし沸いてきました。それなりに使われている語だけど、学術用語というには微妙に党派性を帯びた言葉であるようにも感じるのだよね。いや社会科学一般がそういうものなのかもしれませんが。ぼくはノンポリ人文学の出身なのでそこはほんとうにわからない。もっともこれは G. という奴はアカだけだという卑近な意味でいっているのではなく、管見の限りで得た以下の印象に基づきます。1)ドイツ語の用例をみていると旧東独系の訓詁学的な術語上の厳密さをもった言説のかおりや平和運動系の方の発言が多い気がする。2)zeno.org に収録されるような20世紀前半までの古典的著作にはあまり使われない語で、Weber にも出てくるが中心概念という趣ではない。かつ zeno.org における用例はこの Weber の著作とあともうひとつニュルンベルク裁判の記録以外にない。学術用語というにはちょっと使われてないんじゃないだろうか。気のせいかな。このあとで Google Books には刊行年代で絞り込む機能がついていることに気がつき、検索をかけたところ、1970年代以降の政治学をはじめとする社会科学のほうで盛んに使われていることがわかりました。そしてその語義は、とりわけ複数形で使われる場合には(論者の立場はさておき)「Weber 的な国家に独占された暴力としての暴力装置すなわち警察と軍隊」でほぼ整合的に解釈できそうな感じでした。なので本当にぼくの気のせいで、現代ではふつうに学術用語なのかもしれない。いっぽう、ブックマークコメントでid:md2takさんにご指摘をいただいたのですが、Weber に出てくる Gewaltapparat はむしろ「権力機構」と訳すほうがよい。管見の限りでは、この語義での用例は少なくとも19世紀に遡ります。そしてレーニンら20世紀初頭の社会主義者の用例もこちらに属するんじゃないかという気がします。こちらが学術用語といえるのかどうかは、まだよくわからない。高級語彙には違いないんだけどね。

なお、そこでこのニュルンベルク裁判での G. が誰の発言に登場するかというと米国側検事団の Thomas. I.(sic). Dodd (英語版ウィキペディア)なので、「G. とかいう奴はアカだ」というのは偏狭な先入見じゃないかとも思うわけです*5。まあ、Dodd 氏自体は英語で instrument of ほにゃらら (violence?) といったのではありましょうが。追記ここまで。

つづき。続・Gewaltapparat の初出? - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wake

*1:なおここで Gewaltapparats と s がつくのは単数属格形。英語の所有格にあたる。

*2:ここでドイツ法ではこれはPDなはずなので Google Books は全部みせてくれてもいいはずなのに、みせてくれません。ひどい。

*3:これはうっかりミス。Apparat m. -s, -e なので複数主格は -apparate となる。-n がつくのは複数与格のみ。

*4:なおここで興味深いのは Google Books でみた限りは Weber 自身には "Gewaltapparaten"と複数で使う用法がない可能性があるということだ。このあたりはヴェーバー専門家のコメントを期待したい。22日追記。単複についてではないがコメントをいただいた。いわゆる「暴力装置」と「経済と宗教」でのG. の違いについて。http://b.hatena.ne.jp/md2tak/20101122#bookmark-26709573. ただしご指摘のなかで英語を経由させて論じる部分は私にはその意図が理解できなかった。

*5:そういう人もいる可能性は否定しない。