ゆんゆん?

世間が思うほどゆんゆんではない(わかりやすい+伝統に即している)と思うのですがどうでしょう。

自然あるいは本性は徹底して実在的なものであり、神の実在性すらもこの永遠な自然に由来する。「自然を離れては神はミステリウムであり、すなわち無 (Nichts) のうちにある」(3.2)。無は自己を覗き視る「底なしの眼」(3.2)、視ることへの「憧憬」(3.2)、「静寂」(3.18)ともいわれる 。眼は視ることへの意志であり(3.2)、かつこの意志はそれ自体が無であることにより意思の結果として視られるものを招来する。これがベーメにおける創造である(3.2以下)。つまり視ることへの意志が視られる対象としての自然を創造するのである。「永遠の自然」あるいは自然として在るもの(Wesen als die Natur)を生ぜしめた意志は、視られる対象としての本質存在・自然を生ぜしめるものとして「自然へと向かう欲」(3.24)である。ベーメは自然へと向かう欲を「底なしの顕現」(3.24)と呼ぶ。無であったミステリウム、「はてしないミステリウムは、さまざまな姿を取ってあらわれる」(3.5)。「姿をとった全体が神性の永遠の智であり、ここに唯一なる神性の三性がある」(3.6) 。 ただしここでいう創造は永遠の神の内なる自然の創造であって、まだ可感的世界としての外なる自然は論の対象ではない。

ね、簡単やん。