あうろーら Kap.17-19

fとsの判別に泣かされています。創世記ネタ。

  • 堕罪前は「天使の身体」で地上的な身体/世界以前だとする。それはわかった。がそこで地上的な世界が生じるというのはなんとなく納得いかない。(すでに創造されている)地上的世界へ追放される、ということなんだろうか(なので頽落)。だとするとえー時間的世界は結局いつ始まるんだ? と疑問。"Anfang"*1
  • 時間的な世界は、地上的な世界としてではなく、むしろ恒星的な世界といわれる;もっとも恒星的世界・自然の中心は地にあり、さらに人間にあるのだが。これはある種の地動説なのかな……。るっちゃんはケプラー地動説*2が嫌いだったなさういえは。まあいいやこのへんはとりあえず心に棚。
  • Teufel は人間の堕罪前に(おのれの superbia により)転落しているわけだが、Zorn Gottes はそこではじめて顕れるのだとすると(これは火の堕落でもあるわけだが、愛と怒りの二重性は時間的世界に固有な現れだともいわれる(あるいはそう解釈され得る:永遠においては、すなわち神の沈黙のうちにはこのふたつは同じである):あるいは時間的世界ではこの二つは分離して顕れるので、分離とは即ちに時間性のはじまりだというべきなのだろうか。
  • 深み*3は内的な世界に帰属し、闇*4は外的な・恒星的な世界に帰属する。後者は時間的な世界といってもよいであろう:昼と夜は内的な世界に、朝と夕べは外的な世界に(ゆえに星の創造以前に後者はない)貴族するという靴屋の解釈。しかし「あらしめ」られる*5、始めにある物は「光」である*6、闇が先にあるのではない;あるいはこのようにいえるであろう、神はまず己を光として顕す*7。光と深さの関係、おりげんのいう「明るい闇」、モーゼのシナイ山体験への言及。これが闇でなく深さといわれるのは、Jh1 の「闇はこれに打ち勝たなかった」(蔽わなかった)があるから。
  • むっちゃ電波が亢進しているとはいえ「個々の語句*8の発音」にこだわる読み方は面白いなあ、と思う。つきあいきれないという気がしなくもないが、この「ことば」の音という感触へのこだわりは、ことば(Sprach)・質・響き(Shall)が、靴屋のなかでは連関をなしているということを示唆する。言葉は発せられてこそ言葉なのだ。もちろん、これは怒りから出た言葉が(破壊的な)火ともなりうるということと裏表一体をなしているのだが。というわけで、原初的な言葉のうちにはすでに Leiden がある。Leiden Christi。
    • 崇高という事。いやいってみただけ。

以上、特に意味はありません。といいつつ隠された意味を人は求めるのであろうか。顕れと隠れという事についてでした(なわけない)。

*1:Gen. 1:1

*2:アナクロニズム。。

*3:Gen.1:2

*4:ibid.

*5:Es werde den Tag.

*6:Gen.1:3

*7:vgl. Jh.1:4。これは靴屋が解釈の根底においているところでもある。このあたりは MM 1624 との関連も指摘できるだろうか。

*8:オリジナルはドイツ語じゃないんだけどなあ、というのはいうだけ野暮なんだろう。実はこの人のここが到底付き合いきれないと思う所以なのだが、いつか馴れるのだろうか……。発想としてはカバラ―と近いのかな。いやなんとなくね。