ご報告

略儀ながらブログでご報告申し上げます。

本日午後、無事、亡夫木津隆史の納骨をしてまいりました。
ご心配いただいた皆様ありがとうございます。

おかげさまでよいお日和になりました。昼過ぎにお寺へ行き、受付・ご本堂でのご供養・納骨堂でのご供養、あわせて1時間半ということで、これはタクシーの運転手さんによるとだいぶんすいているそうです。GWのあとだったからということもあるようです。混むときはなんでも4, 5時間はかかることのようです。

お寺は天王寺にある一心寺 http://www.isshinji.or.jp/ というところです。檀家のない寺で、お骨仏というのんをつくらはります。故人のいれていただくのは9年後に開眼供養する仏様だそうです。

当初、納骨だけをすることを相談して決めていたのですが、当日その場で故人の両親が永代供養もお願いしたいという意向を示し、そしてそのようになりました。納骨の費用は私が、供養の費用は両親が出しておりますが、諸般の事情で供養も私の名義でお願いしました。ちなみに私自身は仏教徒ではありません。両親もそれは承知しています。そこで非常に弱ったのですが、ああまあ。親孝行だと思って、両親の意向どおりに致しました。いや、ていうか、.1秒ぐるぐるしましたが、そこで宗教論争するガッツは私にはありませんでしたよ。。

両親の名義で供養と納骨という手もあったのかもしれませんが(それはいま気づいた)、あれかな、後までいるはずの人間が所持万端をするというのが、まあ自然かなあと、それもあっていわれるままに私が施主で納骨と供養をお願いするということにいたしました。

受付の書類を書くのに、故人の死亡時の住所を書くのですが、数年ぶりに元の住所を書きますと、なんだか涙が出そうになって困りました。本堂でも、取り乱すということはさすがにしませんが、祭壇にお供えしていただいたお骨と卒塔婆をみあげると、もうほんとうにおわかれなんだなあとおもえて――こういうむしろアニミズム的な思考が自分の中にあるのを時々発見します――、恥ずかしいことですがいまさらながら涙がとまらず困りました。

お骨は早々に他の方のと混ぜ合わせて、なのでもう手元にかえすことは出来ないそうです。少し手元におこうかどうか迷ったのですが――お骨があるかどうか聞かれたのでそうなさる方も最近は多いのでしょう――、結局、迷いを残すことになるばかりだろうと思い、手元に残っていたお骨はすべてお納めいたしました。

故人が逝って、6年と5ヶ月、みなさまには今日までいろいろお心配りいただき、感謝しております。どうぞ故人の分もご壮健にてご活躍ください。それが一番の供養と思います。

簡単ですが、ご報告まで。