余はなにゆえにフリチベ者となりし乎

私がフリチベに見える形で参加するようになったきっかけは、自分が仄聞していた以上に宗教弾圧がひどく、結果としてチベットの言語文化はチベット高原では急速に維持が難しくなり、またその信仰生活も著しく実践困難になっているという現状を聞き知ったことにある。特にチベットに関心をもって調べたのではないから、3月以降チベット動乱に関係して露出する情報が増えた影響ではあるだろう。

チベットに住むチベット人チベットの言語文化を維持できるような、そして自ら選んだ信仰に生きることが出来るような、そういう世の中が来てほしいとおもう、ただそれだけである。その意味で、世界の言語文化のインフラをさまざまのコンテンツによって作るというウィキメディア構想を支援しその参加者であることと、フリーチベットをいうことの間は、私にとってはなめらかにつながっている。

中国国内で検閲なしの Google 使えるようになるといいねと思うように、チベットチベット人が望むままコルラしたり坊さんを自宅での法要に呼べるようになるといいねと思うのである。坊さんに外出許可が降りず四十九日が出来ないとか、ありえなく悲しい話ではないか。ところで、Google は中国国内からでも TOR 越しに使えばフィルタをやりすごせて、それくらいでは公安に殴る蹴るの仕打ちを受けることもなく、北京や上海のウィキメディアンにはオフ会を開く自由もあって、どちらがよりひどい目にあっているかというのは明らかであるように思われる*1。なので、自分としてはやや後者に比重をいまは置いているが――自分の本来的な関心は、フリーカルチャー、自由に妨げられることなく知が広まる水脈を維持し発展させるということにある。

それだからチベットの政治体制について私に意見はない。現在の中国共産党政府の下でかような自由が可能だとは思ってないが、将来もそうであると断言する理由もなく、たんにそのような自由をもたらす政府を彼らがもてるように希望する。この政党あの政党の政策を論評するのは言論の自由のうちだと信じるが、どの政党が政権をになうべきか云々するというのは、それこそ内政干渉もいいところだろう、と思っている。

私自身の活動が死者への哀悼、死者の記憶という形をとっていることは、それは以前に書いた個人史とかかわっているのかな、とも思う。仏教者でない私にとっては、仏教の形式でない追悼行事が自分が参加しうる場として欲しかったという側面もあるが、それも死者を記憶したいという思いが先にあってのことである。なぜそうだったのかということは今のところ私にははっきりとしていない。ただ死者を悼む、墓の上に嘆くということは、生者それぞれが「残されたもの」として出会うということ、死者を仲立ちとして超越的な何かと出会うということでもあると思う。そこにある種の共同体性を自分が見つけているのかな、という気はしないでもない。また特定の個人の追悼ということに自分が圧倒されているときには、余人の追悼という発想は出てきにくかったように思う*2。ある心的な態度を取るのに、その直接の対象だけではなく、他の対象についても何がしかの距離が必要とされることがありえるのかな、と考えている。

*1:ただし中国の漢人社会でも、複数のブロガーが当局の発表と違うことを書いて連行されており、これはもっと喧伝されていいと思うのだが、日本ではあまり取り上げないね。何故だろ。

*2:いまでも、折々に夫の霊の安息を祈るときには、祖父母や親族といった近しい故人の名であっても、浮かぶことのほうがむしろ少ない。