現代日本の教養

夜中、ふと目が覚めて普段はあまり行かないサイトをブラウズしていて、こんな一行を見つけた。

で、この3人はいつも同じ議論をするのが好きだったんです。それはね、何だと思う? 「一にしてすべて」ということなんだ。ラテン語で「ヘン・カイ・パン」という。「一・に・し・て・す・べ・て」。それを何度でも議論したらしい。

松岡正剛千夜千冊 第千二百夜 2007年9月21日

このサイトは以前から知っていて、いろいろなよい本を紹介しているなあと思いつつも、いささか素直に入っていけないものを感じていた。読むたびに、いわくいいがたく、しかしいつもちりちりと嫌な感じが離れなかった。このサイトを激賞する人も知人にはいて、その人はそれなりに知識もあり人文学的なものへの理解を示しており、にもかかわらず、それを素直に聞くには何かぎくしゃくした座りの悪いものを私はずっと感じていた。

その違和感のよってきたるところをみたように思った。これだったのか、とわたしは思った。

これだったのか*1

もとより、私も似たような間違いをそこここでしているのだろうとは思う。この日記でも、記憶に頼って書き事実関係を誤って訂正をいれることはたびたびある。改めて、その危うさ見苦しさを他人という鏡を通して見せつけられると、なんとも気恥ずかしい。もって他山の石としたいと思う。読者の皆様も「鰤端末徹夜祭」に誤りを見つけた場合にはご指摘いただければありがたく存じます。

*1:追記:以前お問い合わせをいただいたので追記しておく。ヘン・カイ・パーンというのはギリシア語である。加えて研究史的には、三人が口にしたのは直接にはレッシングに由来する Alles ist Eines(ドイツ語で同じことを述べたもの)である可能性も強い。