歯医者へいってきました

一部の皆様にはご心配かけておりました例の前歯ですけど、ようやく治療を始めました。今日はレントゲンを取って、型取って、患部を消毒、というわけで明日は知人の結婚式に歯掛け婆ぁとなって行くことになるでよ。あああ。

歯医者は大学のときから通っていた先生、当時は自宅のそばですが今は電車を乗り継ぎドアツードアで1時間程度かかる、なのだけど痛くない歯医者というのは貴重なので、通えるうちは御世話になりたいと思っています。

というわけで久々に大学のそばまで行ってきました。彼もお世話になった歯医者さんでの治療が終わったあと、彼がひいきにしていた和菓子屋さんで餅菓子をおみやげに買って、その道なりに商店街を少し歩いてきました。以下手短に diff。

  • あぐら屋がなくなった。1年くらい前にはもう店をたたんだと近所の方の弁。
  • 同じビルに入っていたお豆腐屋さんもどっかへいってしまった。
  • 踏み切りの前にあった八百屋が紆余曲折して葬祭案内センターになっている*1
  • 珈琲館がなくなっちゃったよ!ってこれは1年前からそうか。
  • ピノキオの隣が巨大な駐車場になってました……

なお薔薇園と憩食堂は健在です。花の館もまだあるらしいです*2

夫がなくなってからしばらくは、研究に便利なこともあり、大学のそばにずっといたのですけれど、でも結局いまのところへ引っ越しました。もと住んでいた場所へ行くのは精神衛生によいときと悪いときとあって、引越しが賢明だったかどうか折々に考えたこともあるのですが、今日ずいぶんと変わった街をうろつきながら、やっぱり引っ越してよかったのかな、と思った。彼といた街がどんどん変質する姿を近くでずっと見ていたら、あるいは心が折れたんじゃないかと思います。彼を覚えていてくれた/彼が好きだった、いきつけのお店が一つ減り二つ減りしていくのはつらいのですが、新しいものが付け加わって街がそれで活性化してくれたらいいな、とせめても思います*3

一日一チベットリンクhttp://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2008111202000093.html

*1:これは1年くらいまえからすでにそうだった気がする。うろ覚えだけど

*2:こちらは所在を確かめていませんが、一緒にご飯を食べた、そこが勤務地な後輩の情報。

*3:あぐら屋は1年ずっと閉まったきりであとのテナントが入ってません。その点ちょっと気になる……。

なにいってっかわかんねーよ・2

id:DrMarks (米国某大学にて教鞭を取られる師のブログは軽妙洒脱、聖書学から米国世相まで古今東西を縦横に批評してつねに得るところ多く、読者諸兄にもおすすめ、なお師というのは我が師なるにはあらずして――まあ私淑も師事のうちかもしれないが小生怠惰にしてそはいうも愚かなりゆえにさはいはず――博士号をお持ちだからでもなく、某教派にて按手せられたる牧師先生なるによる・いやがらせではありませぬぞ)に下記の如くご教示をいただく、

>俺日本人の英語わかんないんだよ
書いたことがわからないことと言っていることがわからないのとでは違いがあります。書くことはBrittyさんがお書きのように更に高度な問題がありますが(主語が合っていても、「私が驚く」は常に「私が驚かされる」で表現するとか)、日常生活では多くは発音の問題でしょう。
大学関係者は外国人の発音に慣れていますが、巷の人はまったく理解できないことが多い。教育ある日本人がちゃんとした英語で話したのに、「さあ通訳してくれ」と頼まれるが、同じことを鸚鵡返しで言い直すだけで済むことが多いのです。(文法無視で喋り捲るヨーロッパ人より日本人はいい。うすら馬鹿なんかではありません。)(後略)

鰤端末鉄野菜 コメント欄 DrMarks 2008/11/15 00:37

えっと、読みにくいですか? というわけでここから、いつもの文体に戻る*1

日本人の話す英語がネイティブに聴き取りにくい原因のひとつは、彼我のリズムの違い、精確には、ひとつに日本語風に発音した英語(いわば「カタカナ英語」)と本来の英語の拍構造の違い、もうひとつは強勢の違いである。発音、というとまた r/l だの s/th だの英語には「あ」が3つある問題だの、いろいろ嫌なこまごまとした注意書きが頭をよぎる方も多いとは思いますが、おそらく DrMarks が仰ったのも、音声面というよりはむしろリズムとイントネーション(アクセント・強勢)の問題ではないかと思料する。

まず拍のほうから話を始めよう。日本語の音節構造は開音節といい CV *2を基本とする。音節終端に/N/ を取る以外で CVC 音節が現れることがない。一方英語は閉音節が多く、CV と CVC (およびその変形)の両方が頻出するが全体としてはやや CVC が多い。con-so-nant は CVC-CV-CVC, vo-wel は CV-CVC ... といった具合である。拙ブログの英語タイトル Brittys Wake の場合だと , CCVCVC CVC となる。音節というのは母音1つを核に前後に子音が付いて形成され、基本的には音節ひとつで一拍を取るので再び Brittys Wake の場合だと英語ではこれは三拍(三モーラ)となる。ところでこれカタカナにすると、十拍なんですよね(ならなかった方は指を折りながら数えてみてください。なお促音は一拍に数えます)。いまなら三拍が十拍になって大変お得です、じゃなくて、三拍ならそれとわかる人々にとって、十拍バージョンはなんかやたらと母音が増えてだらだらしどけなくなり、とても同じものに聞こえない(実際 [bri] と [buri] は彼らにとって異なる音として聞こえる)。かくして「日本風の発音が通じない」ということになる。ここで問題なのは個々の音声の調音ではなく、本来英語としてはあるはずのない母音を無自覚に付け加えて全体を水増しし、その結果英語には聞こえないような音節のつらなりを作ってしまうという日本語母語話者の発音の癖である。

しかしこれだけなら、まだそれほど大きな問題にはならない。日本語風発音が通じにくいおそらく最大の理由、英語の強弱アクセントが日本語風の高低アクセントに置き換わることではないかとわたしは推測している。英語も自然な発声のなかでは高低のイントネーションの違いが生じるのだが、英語話者はそのことを一般に意識しない。むしろ彼らが意識するのは強弱の差で、全体に強いところは結果として高く・弱いところは結果として低く発音されるがそれは結果であって、彼らが注目するのはあくまでも強弱である。なので高低だけがあって強弱には差異のない「日本人の英語」は彼らにはアクセントのないだらだらとした音の塊に聞こえてしまい、通じない、ということになる*3

ネイティブの英語というのも、みんなが大きな声でがなりたてるわけでもなし、なので非母語話者である我々にとって全体に強勢の違いがわかりにくい場合も多々あるのだが、こちらが発話する場合には、やや大げさなくらいに強弱を意識したほうが最初はよい。そのうち加減がつかめてみるので、特に意識しなくてもそれっぽく話せるようになっていくだろうと思う。コツとしては強勢を置くときに、手を開くとか目を心持開くとか少し身体をゆするとか身体動作を伴ってみるとちょとだけ呼気が増えてそれらしくなるのではないかな、と思うのだがもちろんこれをやりすぎると疲れるので適度にお願いします。

*1:英語でいうならここは「私はふだんの文体に戻る」ないし「私は文体を普段のものに戻す」になる。己を消して自発風にいうのが日本語らしく、一方英語は自分の行為であることをいいつのる。前日エントリー参照。

*2:C は子音(consonant)、Vは母音(vowel)を表す。

*3:逆に、日本人が英語を聞くとイントネーションの低さ高さに注目する人が多いようなのだが、英語を英語として聞く場合には高低の変化よりも強弱の変化に留意して聴いたほうがよい。