いったいどこの話だよそりゃ(加筆アリ

あいたた。というのをまた見つけた。http://akihitok.typepad.jp 経由 New Scientist 経由 http://www.liebertonline.com/doi/abs/10.1089/cpb.2007.0225。POLAR BEAR BLOG さんのブログがよくまとまっているので、そのまま引く。他は英語だし。   

これはまた論議を呼びそうな調査結果が。イスラエルの心理学者チームが、ウィキペディアン(ウィキペディア上でアクティブな活動を行うユーザーたち)は閉鎖的で、気むずかしい人物である傾向が強いとの研究を発表したそうです:

Psychologist finds Wikipedians grumpy and closed-minded (New Scientist)

POLAR BEAR BLOG: ウィキペディアに貢献するのは、実社会での鬱憤が原因?

http://www.liebertonline.com の原著論文の authors をみると、4人の共著論文で、どの人もイスラエルの機関に所属している。なので調査地はイスラエルだろうなあとは思うが、アブストラクトからはそれは分からない。曰く

Wikipedia is an online, free access, volunteer-contributed encyclopedia. This article focuses on the Wikipedians' (Wikipedia users) personality characteristics, studying Wikipedians' conceptions of Real-Me and BFI dimensions. To survey these aspects, we posted links to two online web questionnaires; one was targeted at Wikipedians and the second to non-Wikipedia users. One hundred and thirty-nine subjects participated in the study, of which 69 were active Wikipedia members. It was found that Wikipedia members locate their real me on the Internet more frequently as compared to non-Wikipedia members. Variance analysis revealed significant differences between Wikipedia members and non-Wikipedia members in agreeableness, openness, and conscientiousness, which were lower for the Wikipedia members. An interaction was found between Wikipedia membership and gender: introverted women were more likely to be Wikipedia members as compared with extroverted women. The results of this study are discussed with special emphasis on the understanding of the motivators of Wikipedia members.

http://www.liebertonline.com/doi/abs/10.1089/cpb.2007.0225

どこの話なんだよと私はこの辺で切れそうになるのだが、まあそれはいいとしよう――New Scientists を信じれば、調査はイスラエルで行われたそうであるから、地理的情報については、それを信じる(なお原著論文は30ドル近くするので、私は買わなかった。liebertonline.com から買えるのでご関心のある向きはどうぞ)。問題はこの調査に回答した69人のウィキペディアンがどのウィキペディアに投稿しているのかが、それでもまだ不明だということだ。ヘブライ語版、英語版、イディッシュ語版、それともロシア語版? それとも他の言語? それによって大きく話が変わってくる――少なくともプロジェクトの中にいるわたしたちにとっては。

イスラエル公用語ヘブライ語だが、イスラエル人のみながヘブライ語母語にしているわけではない。パレスチナアラビア語母語イスラエル国籍アラブ人のことはしばらくおく。Drork こと Dror Kamir (ウィキメディアイスラエルの理事)によると、いまのところパレスチナ人の投稿者というのはアラビア語ウィキメディアコミュニティにはいないそうなのだ(Drork はアラビア語の常連投稿者でもあり、そして今のところ確認されている唯一のアラビア語版へのユダヤ人投稿者でもある)。なので「イスラエルウィキペディアン」が全員ヘブライ語を話せるユダヤ人、イスラエルの多数派であると決めうちするのは構わないかなと私は思う。

だけど、その後が問題だ。そこからは調査対象者がウィキペディアのどの言語コミュニティに所属しているか、まったくわからない。ウィキペディアモノリスではない――著作権に関するルール(GFDLライセンス)や中立的な観点(Neutral Point of View)などの基本的な指針を除けば、その文化も規範も200を越える言語コミュニティごとに異なる。複数の言語を使う人なら、複数のプロジェクトに参加して、それぞれの文化にあわせて振舞うということがありえるし、逆に自分の母語であっても、自分とプロジェクト・コミュニティの文化の方向性が違えば、参加を見合わせるということが起きる。そうしてとくに90年代以降、東欧からの移民が増えているイスラエルにあっては、ウィキペディアンにもまた多言語話者が多いのだ。69人があちこちに投稿している人たちなのか――だとすると、それは少なくともイスラエルにいるウィキペディアンの傾向全般をあらわしている可能性はある、それともヘブライ語版の投稿者だけなのか――だとするとそれはヘブライ語ウィキペディアの文化を表す以上の結果を我々にとってはもたない。

あそこがなんかいろいろ大変なところなのは、もうプロジェクトのコアメンバーにとっては周知の事実である。イスラエルに住んでいて英語版プロジェクトに参加している人を私は複数知っている。両方に参加している人も複数知っているが、英語版だけに参加している人たちによると「ヘブライ語版コミュニティはぎすぎすしていて、攻撃的で、争いが絶えず、とてもやってられない。誰も彼も自己主張が激しすぎる」のだそうである(ということをいう彼ら自身は、日本人であるわたしの眼からみると、我慢できないすれすれくらいには自己主張が強く、無意味に事を荒立てがちであり、対決姿勢が強い)。そうして英語版とヘブライ語版の両方に参加している人によると、ヘブライ語版は「世の中がそうであるように、まあいろいろなことがあり」――その「世の中」のいろいろなことには「隣の町のいつも買い物に行くショッピングモールで自爆テロがあった、ぼくは怖くなり何時間もひとりで泣いていた」というようなことをも含む――、つまりまだそれほど不快ではないレベルで暮らしていけるコミュニティであるのだが*1イディッシュ語版ともなると、「ウィキペディアだけの問題ではなく、イスラエルにおけるイディッシュ語コミュニティそのもののありようを反映して、世代間抗争があり、耐え難くとげとげしく居心地が悪い」のだそうである*2。もうどういうアルマゲドンがそこにあるのか、私には想像もつかない。ふむ、そうすると、イディッシュ語のアクティブな投稿者は60人もいないから、とするとそれはヘブライ語版投稿者かその他も含む投稿者なのだろうなとは思う。書いていないことなので、たんなる憶測にしか過ぎないのだけど。

昨年の10月に foundation-l に出た、ヘブライ語と英語のウィキペディア両方に投稿するあるイスラエル人からのメールによると、ヘブライ語ウィキペディアは exclusionists (除外主義者)が多く、彼らのほうは英語版で多数派を占める inclusionits (包摂主義者)の文化を居心地悪く感じるのだそうである(メールを書いた人自身は、それぞれそういうものとして問題なく暮らしているらしい、一方で自身の母語であるロシア語版へは「文化の違い」になじめず投稿していないという。Amir E. Aharoni, "Re: We have the problem")。除外主義と包摂主義というのは、記事に関する二つの傾向で、「百科事典の記事として適切でないもの」とりわけ極端に短い記事(スタブと呼んでいる)をどう扱うかという態度の問題である。除外主義者は「質の悪いものは全体のクオリティに影響し、また閲覧者のためにならない」として記事そのものを削除することを好むが、包摂主義者は「誰かが向上させるだろう」と楽観的に考え、その投稿を保持しておくことを好む。よくもちいられる例は「雑草は放っておくとさらに増える」「綺麗な花も最初は雑草にみえる、まてばいつかは花が咲く(かもしれない)」。そうしていわゆる初心者に対して、除外主義者は規範的でときに権威的で、しばしば不親切であると(包摂主義者からは)非難される。――これと先の調査をあわせて考えると、先の調査はヘブライ語版投稿者が対象だったのかなとおもいたい気もするのだが、その因果関係は明らかではないので、ここで踏みとどまっておくことにする。

調査対象者を「ウィキペディアン」とだけ書くのではなく、どの言語のウィキペディアに投稿するのか、原著論文の著者たちにも、紹介記事の人たちにも、書いてほしかった。つくづくそう思う。どこかにその情報がないかなと思って、わたしはむなしく30分を費やしました。むう。これは日本語で書くときも同じことが言えて、ウィキペディアとだけ書く報道やブログのいかに多いことか。このブログでも何度か述べているが、ウィキペディアとは200を越えるウィキの集合体である。どの言語のウィキペディアについて話しているのか、論者には明確にしてほしい。とくにプロの書き手にはそれをもっと意識してもらいたいと願う。単語一つですむことなのだから。日本語版の話なのか、英語版の話なのか、はたまたヘブライ語版の話なのか、それとも複数にまたがるのか――筆者には自明なのかもしれないが、読者にはまったく自明でないのだ。他者に向けて書くっていうのはそういうことだと思う。

なお、POLAR BEAR BLOG さんでは「被験者もそれほど多くはありません」といっておられるが、ウィキメディアの利用者統計をみると、人数からだけいえばヘブライ語ウィキペディア投稿者のアクティブメンバー(月あたり5投稿以上)のほぼ半分に匹敵するようだ。もちろんその69人のアクティヴィティは手元にあるデータからは分からないし、なのでどれだけイスラエルにいるウィキぺディア・コミュニティのコアメンバーと重なっているのかは分からないのだが、イスラエル国内での調査としては、むしろそれほど小さくない規模のものだと云ってよいのかもしれない。

*1:とはいえ、そこでの争いの激しさというのは、やはり私の理解を絶している。先の DrorK は昨年ヘブライ語ウィキペディアの管理者を解任された――イスラエル協会の理事職にはそのまま留まっている。わたしの知人であるヘブライ語版投稿者イスラエル人はみな彼の管理者解任に深く憤っていて、議論のほうはヘブライ語で主になされており、我々は各言語版コミュニティの自治に立ち入ることをそもそもしないので、解任派の主張というのをわたしは詳しくは知らない。ただ、DrorK の献身に対してそれは惨いなあとは感じたし、それに関してコミュニティ内ですりつぶされたエネルギーを思うと、他にもっといろいろなことが出来ただろうと思い、残念なことだとは思う。

*2:イディッシュ語はかつて中欧ユダヤ人コミュニティで話されていた言語だが、次代に継承させたい老年者と、そんなことはおいてもっと別のことをやりたい若年者の間に、深い溝があるらしいのである。第三者からの伝聞なので、当事者にはそれぞれの別の言い分があるだろうとは思うが。

速読法をちょっとだけやってみた

これまでのお話:

わたしがダイエットや速読法を何度もやっていることは既に述べた(禁煙はしたことがない。そもそも煙草をのまないからだ)。それでですね、id:kousuke-iさんのエントリに刺激されてですね、またもや速読法に手を出してみました……懲りない奴! いや Gmail の未読が再び1200スレッドに近くなっていて*1、これはもうどうにかしないとまずいなあと真剣に反省したのですよう。

それはさておき。意識してみると、自分は subvocalizing を無意識にやっていて、これは意味をきちんと取っていかなければいけないときにはよいのだが、わりとどうでもいいフレーム(mailinglist や Newsgroup の議論の80%はわりとどうでもよいやりとりである)を読むのには邪魔であることは前から薄々は気づいていた。日本語を読むときにはめったにこうはならないので、これは母語以外を読むときの言語能力の不足を補うものなのだろう。そこで今年の目標としては、英語とドイツ語に関しては subvocalizing を起こさずに読むことが出来るようにする、というつつましやかな目標を立てた。

kousuke-iさんのエントリは、いくつかの練習法の段階的な組み合わせになっている。自分の性格からすべてを網羅的にやるというのはおそらく無理なので、一部だけをつまみ食いすることにした。少しでもやらないよりはましである。というわけでさっそく、最初の「指を使って読む」だけやってみることにした。実際には指ではなく、割り箸を使っている(指さしは指が疲れるからいやだ)。

読む速さを測るのに用いるテキストはウィキソース英語版(ちなみにこれもウィキメディア・プロジェクトのひとつ)の H.G. Wells, The Time Machine, Chapter I。いちど読んだところをまた読むのでは眼が慣れて若干速くなるので、計測時には違うパラグラフを読んでいる。最初にやってみたら1分あたり297単語(推計*2)だった。次にメール数本――50ワードから300ワードほどのがいろいろあって、20本ほどを、「指を使って読む」。これは Gmail のデフォルト画面で、一行が20単語ほどになるところを、2・3箇所に区切ってやってみた。無意識の音読をしない分、普段より早く読めるし、またやっていく間に少しずつペースがあがってくるのがわかった。見た瞬間に subvocalize するのもわかるが、それは今回は意識しないことにする。

そのあと再び、エントリで勧められているように、The Time Machine で読む速度を測ってみた。すると推計で1分あたり346単語になった。わぁい。たった1時間の「訓練」でほぼ50単語分向上した。我ながらすばらしい進歩である。

1時間ほどの練習でこれだけ早くなって、しかも未読メールが少しずつでも確実に普段より速く消化できるというのは大変によいことである。というわけで、当分は割り箸片手にメールを読むことにしようと思う。kousuke-iさん、よい方法をご教示いただきありがとうございます。速読法実行中のみなさま、お互いがんばりましょうね。

*1:正月三が日に2000越してたのを、一度は1100近くまで減らしたのですが……。

*2:1行あたり22単語として計算した。