Kんと、KU第二部

理想社版流し読み。方法論。「付録」。つづき

Section;83 自然の最終目的(Endzweck)
幸福論((V388-391)と開化論(V391-)。二択問題(V391f.)。

V389 理念としての幸福

(個体の単なる?)「地上の幸福」「おのれ自身の現存に究極目的をおくこと」は(自然に依存するために?)「諧和することを人間には不可能ならしめる」V391
gegens.
V.391「理性的存在者の(したがって、この存在者の自由における)有能性の産出が開化である」。
V.391f.

開化のみが……最終目的でありうる。

≠「地上の幸福」・「没理性的な自然における……道具」|理性的存在者(=人間)にとってのみ開化は問題となりうる



自然素質への言及: V389, V393, V394
(自然素質の。ただし明示的ではない)不平等と「練達性」 の関係V.392f.
V.392

練達性の開化は、……有能性の最も重要な主観的条件である。

=訓育(訓練)の開化:(動物的)「欲望の専制」と効能、それからの「意志の解放」

V393 文化的不平等の拡大(「輝かしい悲惨」)と自然素質、「自然自身の目的……の達成」≠「私たちの目的」
「自然の……究極目的を達成しうる形式的条件」としての「人間相互の関係におけるそうした体制」・「公民的社会」

  • 人間の総体としての社会と自然の全体(vgl. V281f., V288) また有機体(vgl. V287) との類比。

V394 「ひとつの世界公民的全体」・潜在的な敵同士の体系として
戦争の二重性
そのような全体を欠くときに起こる二重の分裂としての戦争
「人間の一つの無意図的な……しかも、至高の知恵の隠された、おそらくは意図的な試み」V.394
一方で戦争は「合法則性……、またこのことによって諸国家の道徳的に基礎付けられた体系という統一」を(理念として)準備する:最高度の開化の「もう一つの動機」

V394 諸傾向性に対する自然素質

教化としての美的芸術と学 V395f.

  • 趣味と学の洗練と虚栄、「このことによって産みだされた満たされえない多くの諸傾向性が、……過大な禍悪を振りそそぐ」V.395
  • 「粗野と凶暴」としての「享受」⇔「私たちの使命の完成」V.395
  • 美的芸術と学の「快による」教化・「理性のみがそこでは威力をもつべき主権のため」の準備