聖霊の扱い

第三部「社会的実験の復元−8 自分たちの場を申し立てて」
QS37 人の子の否認と「聖霊の冒涜」pp.244-250
聖霊への言及
「Q1の中では聖霊への言及はまったくなく、その観念はQ2の中では……QS37と、来るべき方(イエス)が聖霊で人びとを圧倒するというヨハネの予告(QS5)においてしか見られない。」p.247

Q2においては「イエス」と「人の子」の関係は確立していない。
「人の子に関しては、論争が起こり得たであろう。……。これは、……、必ずしもすべての者に、人の子の観念やイエスとその関係が明らかでなかったことを意味する。」p.246
「人の子は共同体の最後の審判の神話物語*1に属していた」p.247

霊の二重の性格:「霊と予告的な発言の関係」p.248、「「知恵の霊」の長い伝統」p.249。「この二つを一つに組み合わせることは、何かを発見したときのその洞察を承認する一つの方法であった。」p.249 発見的真理の原理としての霊の観念→(告発における)弁護者としての霊*2

*1:Q2における「審判」概念については同書pp.198-218。イエス運動の終末論的性格の強化とキュニコス派犬儒派)との異同。

*2:マックはそこまでいっていない。念の為