ひとつのこと、多くのこと

Parm. 後半、というよりは三分の一か。某先生が Hipp. Maj. といっていた「じゃあ泥のイデアとかあるんかい」はやはり Parm. と判明。

やはり私には抽象的な議論は不向きのようである、と実感。

Phileb. は読んだ覚えがなかったのだが、今年の頭に書き込んだらしいメモがびっしり。脳細胞が死滅しつつあるのだろうか。やばし。ぱらぱらめくるうちに快についての議論についてはうっすら思い出す。喜劇への評価は否定的だな。……これと悲劇への評価は直接しないだろうな、ということでとりあえず心に棚を作り直した。

Phileb. の快論は基本的には感覚的快のようであるが、「魂における純粋な快」は道徳的快をも含むようである。この点、KU 一部の後半とも関わらなくもないが、直接の関係は……まあないだろうな。