立ち上る曙光

久々に日記に書いてみるテスト。最近、久々にネット上で大型の電波にからまれたのですが(某NIAST(当時)君以来かも)、やはり靴屋先生はそのような凡俗とは違ってたちのぼる電波度が違います。集中して読まないと電波にあてられますね。我に返って「電波だなあ」と思った瞬間に何かが途切れるので、ひたすらテキストの内的構成に集中するのですが。正直、すらすら読めるというものでもなく、かなりつらいものがあります。。たまに読むのはいいんですけどね靴屋系の人々がみな「一番読まなければいけない本」+「一番面白い本」+「一番大変な本」というだけのことはあります。SRなんかこれに比べたら、超読みやすい(誇大広告)。

ていうかね、正書法の違いと、ポイントの小さいフラクトゥールと、めためたな文法が内容の電波度に輪をかけて読みにくくしてるんだわこれ。構成もわけわからんし。。(一応内的論理としては、自然・自然の質・非可視的世界の創造・可視的世界(可感的世界)への以降移行・可視的創造と[その一部である]天体論*1、でもういちど質の話に戻るという流れがあるんですが……これを「構成」としてすんなり受け入れられる時点で自分はひとつ川を渡ってしまったような気がしないでもない)。

というわけでオフラインで黎明本と格闘。1620以降の Weigel, Paracersus の影響が顕著な、それなりに整った著作*2と違い、わけわかりません。後の著作から類推すると、こうかなーという気はしますが。わけわからないといいつつ、ヒッポの人(N谷先生は電波列伝に入れてますね。まあ妥当なカテゴリ分けだとおもう。普段忘れがちですが、この人も照明体験の人だし……)や Luther(これはまあ当然か、L派だものね)とつながるものをなんとなく感じます。感じますが、Peuckert のいう「L派正統神学との連関」はどうなんだろう。とはいえ神学に手を出すと泥沼になるのは目に見えているのでそこはパス。

ここ数年自然哲学論考がらみか宗教学で言及する(攻め易いんだねつまり)論考が多いのであまり意識していませんが、ア。自体は実は Engelogie の系統にもあるんだな、特に中間部。例の「七つの質」はア。では神の性質であり(これは SR ではあまり強くはいわれていないかも:自然の質である以上は神の性質の顕れでもあるわけですが)、ゆえに天使の性質でもあります:Engel の質を七つに分類するというのは、わりと珍しいかもしれない(天体論や古典・偽Dさんとの関係からいくと、中世の Engelogie にありそうなのは、むしろ9分類のほうでしょうか)、これは Peuckert の序文でもいわれています。まあオカルト系はあまり興味が無いのでこの辺はあまり立ち入らず。むしろ「神の象り(Gleichnis)」(eikon tou theou) である人間(Mensch)が、この七つの性質をどのようにもつか、ということのほうが面白いように思いました:あるいは靴屋的文脈では E. も自然(Natur)も、ある意味では神の象りなのだろうか(これは自然が Signatura であるという後の思想−もちろん靴屋はこの理論を錬金術から継承したのですが−ともつながるものがあります)。E.論がらみで面白いのは、『ア。』での靴屋が人の創造を(可視的)天地の創造の前におくことでしょうか。フィロンと似てるかな(もっともフィロンの場合は、創世記第一章とこれを結び付けるので、天地はある意味では人よりも前に創造されているのですが:キリスト教は神人二性の並存ということをいうので、人間性の創造そのものが時間的存在者としての人間の創造に本来的に先立つ、とか、人間性自体は神の内在的な性質である限りにおいて(そもそも神は自分の本性に反するものを創造しえるのだろうか、ということは―靴屋は否定するだろうなう、ん)永遠に「存在」している、ということをいうのは、正統神学が許容するかどうかはともかくあまり違和感は感じません。

このことと時間性の関係はア。ではあまりはっきりしませんが、テキストからは可視的であることと時間的であることがほぼ互換であるように読めなくもないようで、そうすると、創造の七日以前に人間は「いた」(「ほげ日」という表象自体がどうしようもなく時間的だ、ということはいえるかもしれない)わけで、理念としての人間性(Sch.いうところの「神のうちなる人間性」)は創造ということをまたずに「ある」=これを realisieren するのが創造である、といえるのかなあ。靴屋はあと Geburt, Aufgeburt という表現を使うのですが、これと Schoepfung との使い分けも微妙だな、ということを思いました。というか、Geburt は(子なる?)神にも使われているしね……(SRでははっきりそう。父は永遠の父なので他からは生まれえないが、あるいは「自身を生む」というのは読み筋によってはいえるのかも。。)

*1:占星術の用語なのだが、述語と観念は当時の天文学に依拠、とは Peuckert。えーと、ケプラー(1571年12月27日 - 1630年11月15日)と同時代人。……読んで、はいないだろうが、知っているのだろうか。

*2:電波なりに