脱線(?)

別口でいまいちはっきりしない、Genialitaet / Individualitaet と「近代性」の関係、とりわけ近代的理念(Idee)とされる「子の理念」がすぐれて悲劇的英雄として想定され得るのではないかという私の想定(Genie はかなりに悲劇・崇高との関係が想定されており、その限りでは自然と対立するようにも見えます。『素朴文芸・情感的文芸』は何年だっけ?)と、伝統的にこの理念がもつ「創造」との関わりを少し丹念に押さえたほうがよいのかなあ、とも思いましたが、そうそう法論法論。というわけで '02/'03 の教会論がらみ(法の実体化である国家と宗教的感情・信仰の実体化である教会についての論考がこの時期にはあります。国家は自然宗教に基づく場合には信仰と一致しますが、キリスト教信仰が国家ともつ関係は正直お茶を濁しているような気がしなくも、なく(対立するものではないとしていますが。この辺の曖昧さは領邦国家で宗教が国家の指導を受ける世界での施行だということが反映しているのだろうか、誰かの論考(Zeltnerかなあ)では「高級公務員だからねえ」とざっくり片付けられていたような気も)。

こういうことをすべて追っかけているわけにもいかないので、とはいえ、書き留めておかないと霧散するので、とりあえずメモってみるテスト。

明日はまじめにPdKに集中しよう。。