ふりっつくん
ひょんなことでフランス語版ウィキペディアのしぇの人の項目を見に行った*1。哲学者項目らしく主要著作リストがあるのはいいのだが
が。
- Idées pour une philosophie de la nature, (1797)
- Système de l'idéalisme transcendentale, (1800)
- Bruno ou Du principe divin et naturel des choses (1802) ; Editions de l'Herne, Paris 1987
- Philosophie et religion, (1804)
- Recherches philosophiques sur l'essence de la liberté humaine et les sujets qui s'y rattachent, (1809)
- Les Âges du monde, (1811-1815) ; Editions Ousia, Bruxelles 1988
どこの同一期ヲタ*2かこれを書いたのは?後期全部無視というのがすごすぎ*3にもかかわらず本文中には後期への言及がちょっとだけあるのがほほえましい。ていうか おまえは Victor Cousin と書きたかっただけちゃうかと*4。
なお、同じく「主要著作」という方針で作ってあるドイツ語版の1801年から1807年の著作リストには、BrunoとPuRがはいってなくて、Darstellung と PdK と 1804System が入っていた*5。見事な好対照だ*6。
と「自然から神へ」という線で、このリストをつくった人が考えているという線もあってよさそうなものだが、どうしてもそうは思えないのは、たぶん啓示の哲学にも神話の哲学にも触れていないから*7。それとも、WAとPdM/PdOの間に区別をみていないのか? それはそれでしぇの人の後半生立場ないじゃん、という気が。。
*2:むしろNPヲタ?PdKが出てこないもんな。。嫌いなのか? PdKなしで語れる同一期てのはどういう世界なんだろう、というのは一瞬答えにつまる質問だ。あそこには新しいもの特別なものはないとこのリストを作っている人はおそらく考えているのだろうが、それでも『叙述』も『さらなる叙述』もでてこない同一期ってのはちょっと呆然とする。単に翻訳が手に入らなかったのか?
*3:世界諸世代は後期ではないと思うなり。
*4:責めているわけではない。
*5:主要著作は『哲学の諸形式』から始まる。まあ穏当なところだろう。ていうか愛情を感じます。
*6:ここで Bruno/PuR を落とすというのは私は異論があるが、考え方としては分かる。自然哲学をより重視して体系的展開に重きをおくと、たぶんそうなるだろう。1804Systemはもっと重視されていいテキストだと思う。
*7:さっきいったように本文には触れている。