聖☆おにいさん、追記

しまった、いかに『聖☆おにいさん』が素晴らしいか褒め称えていて、そもそもこのエントリを書く気になった最初の動機を忘れた。断食である。

聖☆おにいさん』では、ブッダが断食のエキスパートでイエスはなにかあるとすぐ腹をすかせ、でもパンを石にする奇跡が起こせる(ていうか時には意識せずに起こしてしまう、なんかよだれみたいだがまあいいや)という設定なのだが、ここにも私は違和感を禁じえない。やや細かい話になるがご容赦。

  • 共観福音書によればイエスも40日40夜、荒野で断食をしたということになっている。ユダヤの断食というのは日中ものを食べないというものだが、教会の伝承はこのときの断食を通常のものではなく、まったく何も食べなかったと取っている*1。相対的にはブッダのほうが断食し慣れているのかもしれないが、イエスだって、それなりに断食に親しんでいるのではないだろうか? そもそもパンを石にする云々はこのときの四十日の断食のときに出てくる話である。
  • そして細かい話ではあるが、この「石をパンにする」話は悪魔(Satanas)が持ちかけたものであって、実際にこのときにイエスは石でパンをこさえたわけではない。むしろその誘いを退けたのである。ここはひょっとすると、給食の奇跡(マタ14、および15)とごっちゃになっているのだろうか?*2
  • そしてさらに細かい話ではあるが、イエスユダヤ人としてユダヤ人の戒律をそれなりに守った生活をしていたはずである。安息日に癒しを行ったという挿話はあるが、それはあくまでも他人の救いのためである。そして弟子にも律法を遵守することを勧めている(マタ23:3)*3。ところで、ユダヤ教の生活には、週に2度*4の断食があり、また年に1度の大きな断食(レビ16:29)がある。なるほどイエスの弟子は断食をしないと指摘されたと共観福音書にはあるので(マタ9:14ほか)、これが条規の断食以上を行っていなかったという意味でなくて、イエスの弟子たちが常の断食をしなかった可能性はあるのだが、質問が「なぜあなたの弟子たちは断食しないのですか」であって「あなたは」でなかったことは留意されてよいと思う。ここからイエスが常には断食しない人であったということを結論することは出来ないのではないか。仮にナザレのイエスが週に2度の断食をしていなかったとしても、年に一度の「贖罪の日」の断食をしなかったとは考えがたい。ところで30年間毎年日中まるまるの断食をする習慣があるのだとすれば、それは現代人よりはよほど断食に親しんでいるといえるのではないだろうか。かえって悟りを開いた後は苦行をしなかったブッダより頻繁に断食していたのかも。

ええ、まあ、つまらないくだらない点なんですけど、そういう細部を追求したくなっちゃうくらい、『聖☆おにいさん』のイエスはなんか妙に実に迫っているのですよ、ということでひとつよろしく。

*1:まあ「昼も夜も断食した」マタ4:2 とあるでのう。

*2:描写からはそうは見えないのだが……

*3:ここで「安息日に麦畑で麦の穂をつまんだ」のはどうなんだとつっこみが来るかもしれない。だがここでも麦の穂を摘んだのは弟子達である(マタ12:1)。ところでたしかフルッサルによれば、これはむしろエルサレムガリラヤのラビたちの異なる伝統に起因する論争なのであって、ガリラヤではこの「麦の穂をしごく」のは安息日にすべきでない「仕事」とはみなされていなかったのであった(D.フルッサル他著『ユダヤ人からみたキリスト教』)。なおこの本には計4つの論文が入っていて、だから別人の別の論文メナヘム・キステル「イエスの言葉とミドラッシュ」からかもしれない。だいぶ前に読んだ本で、ちょと自信がない。

*4:月・木。なおキリスト教の断食が水・金なのは、ひとつにはユダヤ教徒の差別化を図ったともいわれている。