みたもの
正味二週間のエジプト滞在で、みたところいったところを、移動の記録を兼ねて。一部記憶が曖昧なのでそれはあとで訂正の予定。
- 11 日:シンガポールから空路カイロ経由ルクソールへ移動
- 12日:ルクソール泊
- ルクソール近郊の軽便鉄道網。残念ながら車両は走行中・停車中問わずみなかった。
- メムノンの巨像
- ハトシェプスト葬祭殿/ここはその後コプト教会の修道院となり、なのでアラビア語名は「修道院の谷」とかいうらしい。その後修道院がどうなったかは訊いていない。
- 王家の谷/ラムセス4世、1世、3世、ツタンカーメン(トゥトアンクアメン)の墓、そして若干の落書き。
- 女王の谷/名前を忘れた某王子の墓とティティ女王の墓
- 貴族の墓/アクナートン時代の某高官の墓と落書き、某書記の墓。某高官の墓はその日みた墓のなかでもっとも巨大な前室をもち、かつもっとも繊細で手の込んだ浮き彫り彫刻で装飾されていた。この時代には王より高官のほうがより権力をもちより多く蓄財していたのだとはガイドの弁。
- ラムセス二世葬祭殿(Ramsereum)とイタリア人の落書き
- ラムセス三世葬祭殿
- ルクソールのコプト教会・生神女(なんちゃら?)聖堂・ガイドは Virgin Mary といっていたがコプトでも正式には Theotokos のようである。
- 13日:ルクソール〜アスワン〜車中泊
- 14日:カイロ泊
- 15日:カイロ泊
- 16日・カイロ〜アレクサンドリア
- エジプト国鉄、カイロ・ラムセス駅からアレクサンドリア市内スィディ・ガベル駅まで。「タービン」という区分で都市間2時間15分をノンストップで走る。アレクサンドリア市内に未乗区間が残るが、これはそのあとで乗るつもり/いつもだったら終着駅までいってしまうところだが、今回はすでにアスワン近郊に未乗路線があるので、やや気合が入らないモードに落ちていたところに、地元民がスィディ・ガベルまで迎えを出してくれるというので流れで下車。とはいっても指定した時間に迎えは来ていなくて都合30分ほどを炎天下の駅前で過ごすはめになった。
- 市電をみる。青白のと黄の車両があって大きくは二系統あるらしい。乗りたかったが今回は見送り。
- アレクサンドリア図書館カンファレンスホール。図書館全体の建物は外観だけをみる。ノルウェーの建築家のプランだそうである。施設内には野外ステージがあって毎日地元のバンドが夜になると公演を行っていた。図書館の文化事業のひとつらしい。有料コンサートなのだが、しかしステージ前にはあまり人がいず、いっぽう館外の道路には音だけを愉しむ地元の若い衆がひしめきあっているのだった。
- カイトベイ要塞の前で日没をみにいく。これ18世紀とか口走りましたが、もっと古いものでした。15世紀建造なんだとか。要塞自体の見学は結局しなかった*1。
- 17日から19日
- きほんカンファレンス棟と宿舎の往復であまりものをみていない
- 20日・アレクサンドリア見物のあとカイロへ
- 21日・カイロからシナイ山へ
- 22日・エカテリナ修道院ゲストハウス泊
- 23日・移動日・エカテリナ修道院からダハブ経由シャルム・エル・シェイクへ
- 24日・シャルム泊
- 紅海*2。
- 25日・帰国の途へ
個人的に印象深かったのは*3順不同でハトシェプスト葬祭殿・ラムセス4世の墓・エドゥフ神殿・コムオンボ神殿(のロケーション)・フィレー神殿(のとくにロケーション)・ギザのピラミッド群・アレクサンドリア図書館・聖エカテリナ修道院・シナイ山・紅海・ナイル川。どれかひとつといわれたら聖エカテリナ修道院をおすすめします。修道院のゲストハウスはとてもよいですよ。
あまり慌しくはならないことを念頭に組んだ予定ではあり、そして静かな気持ちのよい充実感を感じており気持ちの上ではし残したことがあるという気が不思議にもまったく起こらないのですが、客観的にこのリストを眺めてみれば見たかったけど見ていないところ体験していないものもまだまだ沢山残っています。アブシンベル、カルナック大神殿、デンデラ、4世紀ごろに創建されたと伝えられる数々のコプト修道院、カイロの旧市街、ダフシュール、砂漠のオアシス、スエズ運河……エジプトはやはり奥が深いなあ。ついて3日目には水があわなかったのか今にいたるまで続く下痢に悩まされるのですが、それでも、いつか、また行きたいと思います。