いろいろ

夏が来れば思い出す。そうかあ、夫と6年半一緒に住んだあの家に入居したのは8月14日だったなあと思い出しました。新婚旅行から帰って来てしばらく小さな1Kのアパートで暮らしてましたが、社宅に移ったのですね。月頭の入居でなかったのは新婚旅行から帰ってきてからしばらく荷物を作らないといけなかったから。

この前 Google Streetview でその場所をちょっと覗いてみました。社宅の周りは私有地だから車は入ってこられないはずなんですが、そして目の高さから見たら公道からは私たちのいた部屋は見えないのですが、GSV だとばっちり見えるんだよね。敷地の一番奥なのに。これはやはりまずいんじゃないかなあ、と思った。人に見せるつもりのない場所に人為的に工作物を持ち込んで撮影しているということだから……

明けてこの日は、いろいろなものの記念日になっております。わけても終戦記念日。とは一般にいいますが、私はこの名前が好きではありません。第一に、この日にすることに疑問がある。この日にすべて戦闘が終わったように誤解させるし(占守島!)、降伏文書調印は9月に入ってからだし、国際法の上ではやはりサンフランシスコ講和条約調印の日が終戦じゃない? 第二に、そしてこちらがより大きな理由なのですが、終戦という欺瞞的な言葉が嫌いです。戦争が終わったというのは第三者的に過ぎる。敗戦といったほうがいいと思ってます。事実を受け入れなければ、それを乗り越えることも出来ないのだから。

カトの人たちは今日は大祭日ですね。ま・ここっとさんのブログ Tant Pis!Tant Mieux!によればフランスでは船での渡御行列なんかもあるんだとか*1。今日でなくって、14日、前日だけれども*2 。像を掲げての行列というのは古典古代の異教のようごたるな、とも思うが、それをプロテスタントのように異教的だと目くじら立てるか、自然的な理性によって聖性へと準備されていたと考えるか、たんに信心というのは根拠が違っても同形を取ることがあると考えるかは、人それぞれでいいと思っています。

一日一チベットリンク産経新聞:「中国核実験の被害を知って」 ウイグル人医師が日本で訴え。テロの話が報道されているけれども、それには根深い理由があるのだと思いました。平和って難しいね。ウイグルチベットではないのだけど、ご近所だし、中国領内少数民族ということでは同じだし、それになにより核実験の被害について知ってほしいという訴えに共感しました。なので今日はこれを。

*1:と引用したのでTBを打とうとしたらスパムコメント判定をくらいました。しくしくしく。

*2:なお昨日14日、つまりユリウス暦の8月1日は、正教会では「尊貴なる木・主の十字架の行列」の祭なんですが、日本でこの行列をやっている教会は聞いたことがないです。残念。なお正教での行列は十字行とどうも決まっているようで、先頭に十字架を掲げ、イコンを刺繍した旗や板絵イコンを掲げて信者がわらわらと続きます。ろうそくを手にすることもありますね。そうして聖歌を歌いながら練り歩きます。こう、なんというか、ものごっつもりあがりますですよこれは。