聖人を拝む?

mixi で「教会内で聖人と認定された人を拝むのはキリスト教では構わないの?」というような質問をいただいた。そのお返事。

聖人というのは「拝む」=崇拝の対象ではないのです。崇敬の対象として敬う対象ですけれど。それで聖人への祈りというのはかいつまんでいえば「○○さん、わたし[たち]のために祈ってください」というものです。神への祈りとは根本的に違うんです。

それで、キリスト教徒はわりあいと気軽に「どうかわたしのためにお祈りください」ということをいいます。生きているもの同士でです。聖人にそれをいわば話しかけるのが聖人への祈りです。なんで永眠したなかで聖人だけそういう祈りの対象になるかといえば、それは教会=信者の共同体が「この人はすでに天国にいる人だよね」という確信をもっているからで、そうでない方はおそらくそれどころではないので、今度はわたしたちのほうでそのかたがたのために神の憐みを祈ります。生きている方と永眠された方と、どちらもあわせて祈ったり祈られたりする共同体の仲間なんです。

……というのが聖人崇敬なので、「拝む」わけではないです。

なおプロテスタントの聖人崇敬にはだいぶ濃淡がありますが、一般にはご指摘の通り、プロテスタントは聖人への祈りということをなさらないとおもいます。

もっともこれも怪力乱神の類で、信仰のなかでだけリアリティをもつものだから議論になじむというものではない。たんに私はこう考えているし、それは他のクリスチャンと願わくばそう遠くないだろうというだけのことである。