中国人が怒るとき 

昨年2007年のウィキマニアは台湾開催だったので、スタッフにも台湾人をはじめとして中国人が多かった*1。そこで中国人が怒るシーンもそう多くはないが何度かみた。

まず、すべての中国人がつねに冷静に計算高く怒るべきときに問題解決に寄与する仕方で正しく怒るというわけではない。なにしろ12億人もいるのだから、中国人のひどいのというのは日本人の想像をはるかに超えてひどかったりする。当たり前ながら、そういうのは大抵の中国人からみても論外なのであって、しかしそこで彼らは物事を見切るのが非常に早く、そういう箸にも棒にもかからず逆上するたぐいの人には、対等の相手とみて自分も怒りを抱くというより、純粋に憐みの情を抱くようである。そんなわけで、ここでは詳細を語らないものの、とある中国人ユーザがあまり正当ではない怒りに逆上していろいろとあらぬことを行ったときには、同じ中国人である彼らは淡々と「○○さんはまだ若いから」「いや年齢以前の問題で、○○さんは感情を制御できない人だから道理を説いても無駄じゃないかなあ」等いいつつ、しかし○○さんの主張と意向は全面拒否してその無理が取らぬよう外堀を着々埋めていくのであった。こいつら敵に回したくないなあと正直思いましたよはい。

いっぽう、きちんとした教育を受けた、大人の中国人が怒りを露にするときの周到さには感動すら覚えた。たとえば、Wikimania2008の実行委員長である台湾人のウィキメディアンがあることで抗議文を公開したときなどがそうであった。台北でのウィキマニアは最終選考でトリノアレクサンドリアなどと競ったのだが、そのときの選考委員によると過去の類似イベントの開催や地元機関の協力取り付けなど、台北が頭抜けて優れた案を提出していたそうである*2。なのだがトリノは自分が絶対に勝てると思っていたらしく、そのあと一部の人が1年以上に渡っていろいろな嫌味をいいつづけてきた。ほとんどは誤解に基づくもので、曰く台北は優れたプランを提示したからではなく政治的理由で選ばれたのだ、そうして台北は約束したはずのプランを実行していない、という二段構えの主張である。これはどちらも誤解なのだが、誤解であるということはいろいろな人が指摘したが、トリノの連中は聞く耳をもたなかった。私はこれには多少人種差別的な感情もあるのじゃないかと思っていて、そうして第三者である私が感じることは当事者である台北の実行委員達も感じていたらしい。そんなある日、実行委員長の訒傑(Theodoranian)が――彼は台湾大学の法学部の出で、世俗の仕事としては地元新聞社の法務部に勤めている――トリノ関係者の「いやがらせ」について公に反論しようと思うのだけどどうだろう、と相談しに来た。いやがらせがはじまって数ヶ月たっていて、新たな嫌がらせ発言が久々に行われた直後のことだった。訒傑によれば、自分が我慢できないということではなくて――訒傑によれば云っても向こうが聞かないことはわかっているし自分もだから彼に考えを改めさせるというつもりでいうのではない、向こうがそういう奴であるというのはもはやどうでもいい――これを放っておくと地元運営チームの士気が下がるから、というのである。そうして抗議文を公開するというアイディアや、その場合の立論ポイントについて二三意見を求められた。他にも何人かに意見をきくことがあったのかもしれない。相談を受けてから抗議文が公開される間には半日くらい間があった。そうして普段は温厚な訒傑が公に怒りを露にしたことは、他の人にも少なからず影響を与え、そのあと件の嫌がらせが来ることはなかったように思われる。ここで注目したいのは、いきなり抗議文を公開するというのではなく、抗議文を公開すること自体への根回しが周到に行われていることであって、ここでは怒りというのは感情の発露であることを超えて政治的な行為である。この周到さは自分にはないよなあ、と瞬間湯沸器であるわたくしは甚く反省したのであった*3

自分がオンラインであれオフラインであれある程度接したことのある中国人というの、あれこれ足し合わせても100人はいないと思われる。なので一般則を引き出すつもりもないのだが、強いていえば、中国人の阿呆は呆れるほど阿呆だが中国人の出来る人は途方もなく能力が高くてその温雅な人となりと相俟って中華文明の厚みを感じさせる、ということだろうか。やはり12億人もいればいろいろな人がいるのである。

一日一チベットリンクチベット対中要求、完全独立への先鋭化も 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News

*1:台湾人の自己認識は複雑で、たとえば台湾独立派の内省人に向かって「あなたがた中国人」などといった後のことなど想像したくもないが、ここではそれには深入りしない。ウィキメディアプロジェクトは言語ごとに活動領域を分割しているので、以下ここでいう中国人とは「中国語話者」(母語であるとないとにかかわらず)の略称だと考えてもらいたい。

*2:そして実際にも、総合的には、さらに改良されてきたはずのアレクサンドリア2008年大会より2007年の台北大会のほうがよい運営ができたと思う。

*3:身についていませんが。人間そうすぐには変われないものである。