アレクシイ聖下、埋葬式

東京にいるとき、たまにニコライ堂へ行く。壁に薄く乳香の染みこんでいる広壮な大聖堂も、夏の間使う半野外の小礼拝堂の緑の芝も、冬の平日に使う大聖堂のなかの一室にある小礼拝堂も、それぞれ大好きだ。東京にいると、楽しいこともあるけど心のざわつくこともそれなりにあって、ニコライ堂で過ごす時間はそうしたざわつきを沈めてくれる。

ニコライ堂でおもしろいことのひとつは、普段いく教会との、お祈りの細部の違いである。正教会では祈祷のたびごとに執り成しの祈り(誰か他の人のために祈ること)を欠かさない。天皇(というかその国の最高指導者、ロシアでは大統領になるし、イギリスでは女王になり、と各国で異なる。日本にあるロシア正教会の出店でも、天皇を記憶すると聞いた*1)、「国を司る者」*2、そのあと教会関係者が続いて、個人の祈りならそこで親兄弟、信者さんなら代父母、親族友人と続く。教会関係者というのは、その地を管轄している主教と司祭をはじめとする神品教役者で、日本の教会ではふつう「日本のダニイル」つまり日本の府主教であるダニイル主教を記憶するが、東京にくるとこれが違う。ダニイル主教さんを、按手というか主教として立てたのはロシアのアレクシイ総主教さまなので、普段きいているお祈りだとダニイルさまの名前があるところに「ロシアのアレクシイ」と入る。そうして、そのたびに正教はロシアから日本に伝わったのだなということを改めて感じるのであった。

ロシアのアレクシイ、正確にはモスクワと全ロシアの総主教アレクシイ聖下は先週の金曜日に永眠された。今日が葬儀で、昨日からロシアの英語ニュースサイトはその話題で持ちきりだった。のべ5万人の信者さんたちがお別れをしにきたとか、聖体礼儀と埋葬式が火曜の(つまり今日だ)の午前中にあるとか、そんな話。ロシアやウクライナにいるはずの、正教徒の友人あれこれの顔や、函館にいったロシア人司祭さんの顔も思い浮かぶ。みんな寂しい思いをしてるんだろうな。希望は天にある、とはいっても、いま一緒にいられない、会おうと思ったら会えるものでもない、というのはたまらなく寂しいことで、だからお祈りのなかでも「ただ墓の上に嘆く」という。時差があるとはいえ6時間くらいだから、もう式は終わっている頃だろう。マイミクのだれかれの日記にもぽつぽつこの話題があがってきて――でもなんだかまだ実感がない。

あるカトリックの友人は、あちらの代替わりがあってから一年以上たってから、まだ「ベネディクト16世がいやだとかじゃないの。でもパパさまじゃないの。私の『パパさま』はJP2なの。パパさまといわれるとJP2しか思い浮かばないの」といっていたけど、ロシア正教会の我が友人たちはどうなんだろう。

とりとめもないけど、そんなことを、ふと思った。

*1:なおこれは正教に限ったことではなく、カトリックでもイタリアでは共同祈願の最初は「わたしたちの国の大統領・公務員・軍人・警察・消防士のために祈りましょう」かなんかだった。政治指導者に神の憐みがあることを祈るのはキリスト教以前つまりユダヤ教の伝統でもあって、そのことはフィロンのなかでも触れられている。

*2:戦前は「百官有司・皇軍帝国議会」だったが戦争のあとしばらくして文言を改めたらしい。