主の降誕祭における3個の注意点
光明なる神・救主イイスス・ハリストスの降生を祝い記憶する祭、ちぢめて主の降誕祭の日付は紆余曲折して(事情は日本語版ウィキペディア「公現祭」に詳しい)、現在はほぼ全世界で12月25日と決まっている(ただしアルメニア正教会ではいまでもエルサレム教会のみユリウス暦1月6日つまり1月19日に祝っている)。ユリウス暦を使う教会では現在のところはグレゴリオ暦の1月7日になるのだが、日本正教会ではここだけは修正ユリウス暦を用いて12月25日になる、そうなった事情は以前書いたので割愛する。
11月末から断食をして備えをした祝いの日、夜の教会でのお祈りが終わった後、数週間ぶりにいただく肉やバタや卵たっぷりのケーキもうれしく*1、家に帰ってきてIRCなどすれば*2「メリークリスマス!」「ハリストス生まる!」*3とだれかれとなしに呼びかけたくもなるのだが、いやまあそうもいかないのだよね。
という話を wassr で URL の流れてきた吉岡さんのブログエントリ・http://blog.miraclelinux.com/yume/2007/12/post-8703.htmlを拝見して思い出した。
1.誰もがキリスト教徒なわけではない。
主イイスス・ハリストスが我等人々のためまた我等の救いのために天より降り身を取り人となったということは、誰にとってもよろこばしき福音であり、また救いの御業の地上における開始であって、世々に至るまで記憶されてしかるべきことだと私は信じるが、そうは思っていない方々も地上には多くいる。吉岡さんのエントリにある、レバノン出身のイスラム教徒の方の話も、その一例である。クリスマスというのはあくまでも「主の降誕」の記憶であるから、これがそのようなものとして(たんなる「預言者の誕生」ではなく「神にして人たるイエス・キリストの降誕」として)喜ばしいことだという感情を共有せよというのは、他の宗教の方には失礼なことだという感覚を私はもっている。
私の場合は、名前からしていかにもアラブ系やヒンズー系あるいは仏教徒の人なら、こちらから最初から慮ってクリスマスの挨拶をとくにはいわないようにしている。私の場合、地雷を踏むのは相手がユダヤ人の場合に多く、無邪気に「クリスマスおめでとう」と呼びかけたあとプライベートメッセージで「実はぼく、ユダヤ人なんだ……」といわれたことが数度ある。それからは気をつけて、ことに不特定多数に呼びかける場合は Happy holidays! を使い、また相手の宗教がわからない場合にはあえてその辺は触れずに通常通りおはよう、こんにちは、よいお日和で等の汎用挨拶で済ませるようにしている。また他の宗教のお祝い日も調べ、ハヌカー*4などの日付は把握し、ユダヤ人とわかっている人にはそちらをいうようにもしている。
またキリスト教国の人だからキリスト教徒だというわけでもなくて、比較的キリスト教人口の多い地域でキリスト教徒風の名前をもっている人でも、無神論者・他宗教への改宗者などである場合もあり、うかつにクリスマスのお祝いをいうのは考え物である。私はあるときセルビア人の友人にクリスマスのお祝いをいって(ハリストス生まる!)、「ああ、ぼくは無神論的タオイストなんだ。だから君には悪いけど『神をあがめほめよ』とは考えていないんだ」と説教されたことがある。
2.キリスト教徒でない誰もがクリスマスを祝わないわけではない。
いっぽう、日本人がそうであるように、キリスト教徒でなくても「クリスマスはめでたい」という認識を持っている人がいて、そういう人はクリスマスおめでとうと気軽に口にする。またこちらがキリストを信じていることを知っていて*5、私がクリスマスを祝っているだろうからクリスマスのお祝いをいってくれるという人もいる。「ナザレトのイイススの誕生日おめでとう」とか「ユースフの息子イーサーの誕生日おめでとう」とかいってくれる人もいて、これはキリスト教徒じゃないなと分かるのだが、なかにはキリスト教徒じゃなくてもあっさり簡単に「クリスマスおめでとう」という人もいる。ほとんどのイスラム教徒はふつうこのときにはおめでとうとはいわないのだが、なかには「イエスは預言者なので、その生誕を祝うのは宜しきにかなっている」などとどこまで本気なのか分からない人もいて(この人はシーア派だった。シーア派ではムハンマド以外の預言者やあるいはアリーのような教主にもそうやって敬意を表すのだということだが……)、そういう人からはありがたくお志を受け、クリスマスおめでとうとお返事することにしている。ただし自分からその人々に翌年クリスマスおめでとうといっていいのかどうかはまた別の話で、そういう人にも Happy holidays! ということが多い。
3.キリスト教徒がみな12月25日にクリスマスを祝うわけではない。
日本にいるとつい忘れるのだが、ユリウス暦を用いる教会*6の場合、クリスマスは現在1月7日に相当する。それなのでうかっと忘れて、セルビア人やロシア人に向かって12月25日以降に「クリスマスおめでとう」といってしまうことが私には何度かあって、そのたびにやんわりと(「ありがとう。でもぼくらまだ/当分先だから」)訂正を受けている。彼らは「西の人たち」についていわくいいがたい諦めをもって接してはいるが、しかし彼らがそういう文化に属しているというのを忘れるのはなんとも失礼なことではあると思い、反省はしている。自分の通う教会の暦がクリスマスを祝っているとしても、そのときいまだ降誕祭の斎を守っているだろう彼らに対しては、年が明けるまで「クリスマスおめでとう」は控えたいと個人的には思っている。
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