ある風景

匿名はてなダイアリーにて。

飯を食い終わったら、長男にカードゲームをさせられ、次男には最近憶えてお気に入りのババ抜きとカルタをさせられ、その途中に三男が泣き出してオムツを替えて抱っこしながらカルタを続行。

そうこうしているうちにオレが掃除した風呂が沸くので、長男と次男を風呂に入れる。洗ってやった二人が風呂を上がると、ドライヤーで髪を乾かしてやる。布団を敷いて、寝ろ寝ろ寝ろいいから寝ろと寝ろを何回言ったかわからなくなる頃ようやく長男と次男が眠りに落ちる。マンガを読んだり、はてブや増田を見たり、小説を読んだりしながら、とりたてて何も生み出さないまま、眠くなって布団に入って寝る。

長男と次男と三男が、オレの手を離れてオレの代わりに何かを生み出して行くようになるまで、こんな生活がたぶん続いて行く。

オレの一日

目に見えた変化ではないだろうけれど、お子さんたち三人がゆっくり育っていく。「何も生み出さない」のではなくて、生長の速度がゆっくりなのだ。植物が広がって大帝国をいつか覆うように、ゆっくりと、すこやかに、子ども達が育っていく、そういう家庭の風景。それを妬みはしないけれど、うつくしいと思い、うらやましいと思う。

やがていい人にめぐりあって家庭をもつことが再びわたしにもあるのかもしれないけれど、わたしは今年で40歳になった。年が明ければすぐ41歳になる。まだ月経は来るけれど、愛した人の子を身ごもる幸福は、おそらくすでにわたしのものではないのだろう。それを嘆くことはしないけれど、そのことを改めて思うと心の隅がすこししんとする。

第百二十七聖詠

登上の歌。
凡そ主を畏れて、其の途を行く者は福なり。
爾は己が手の労に依りて食らわん、爾は福なり、爾は善を得たり。
爾の妻は爾の家に在りて、実繁き葡萄の樹の如く、爾の諸子は爾の席を環りて、橄欖の枝の如し、
主を畏るる者は此くの如く降福せられん。
主はシオンより爾に降福せん、爾在世の諸日イエルサリムの安寧を視ん、
爾は己が子の子を見ん。願わくは平安はイズライリに帰せん。

第十八「カフィズマ」 - Wikisource