「うん、わかった」

カレンダーを見る。日付を見る。この時期になると、21日を起点に物事を考える。21日まであと何日、21日からもう何日。この日は何を食べた、何をお弁当にもたせた、何時ごろに帰ってきた、お風呂に入った、入らなかった、こんな話をした、話をする間もなく寝てしまった。買物にいって何を彼のために買った。携帯電話に何時頃かかってきた。電話に出た。出なかった。呆れるほど細かくそんな些事ばかりを覚えている自分にやはり呆れる。普段はまったく忘れているのだけれど。

涙が止まらない。この日は朝、彼から起こしに来たのだったか。普段は低血圧の私をこころゆくまで寝かせておいてくれるのだけど――どのみちこの週はわたしのほうは論文を入稿した直後で夜遅くまで起きている必要はなかった、なので彼としてもそう遠慮する必要はなくて、たしかこの週には二回ばかり起こしにきたような気がする。なんだかとても必死で、ごめんねといいながら、でもねごはんを一緒に食べたいのという彼の声がとても切迫していて、ああつらいんだな、と私でもわかった。

病院へいけばよかった。病院へいって先生とお話しておけばよかった。このときに。21日を過ぎてからでなくて。

もっと一緒にいればよかった。もっと朝ごはんを一緒に食べればよかった。もっと一緒にいて。散歩して。買物をして。図書館にも。本屋さんにも。もっともっと一緒にいればよかった。もっと一緒に枕を並べて寝ればよかった。気が済むまで腕枕をさせてあげればよかった。あんなに早く逝ってしまうと、わかっていたならば。

もっと一緒にいたかったのは私のほう。いつまでも彼と一緒にいるのだと無邪気に信じていて、だから、そんな瞬間の大切さに気がついていなかった。彼はひとりで家を出ていった。あの冬の朝に。いつものように朝ごはんの支度をして、それには手をつけずに。わたしが起きてくると、彼はおらず、ただ二人分の朝食の支度が出来ていた。

いま気がつく。彼がそのとき口にしないことばがあったのではなかったのか。そうして言外にそれは現れていたのではなかったのか。彼はその日、「朝ごはん何にする」と訊いた。朝ごはんは彼の担当でわたしに意見を求めることなどほとんどなかったのに(皆無ではない)。そうして、私の返事に彼は「うん、わかった」と応えた。それが私の記憶している、彼の最後の声だ。わたしはそのまま寝入ってしまった(前日の朝早く彼と一緒に起きたあと、彼が帰宅するのを日付が変わるまで待っていて、寝不足だったのだ)。それまで数日間、悲痛なほどに一緒にいたいという意志を露にしていた人が、静かに優しい声で話しかけてきて――その異変をなぜ受け止められなかったのか。彼がそのとき飲み込んだことばが、あったのではなかったのか。あるいは――もうそれを私に対して口にする気力も彼には残っていなかったのか。

意識的には考えないようになったが、時折、いまになっても、彼がいつ死を決意したのか自分に問うことがある。あの最後の会話のときではなかったのかという疑問は、時折わたしの心に訪れる。別のもっと後になってからではなかったのかという可能性もあるのだけど。それでも、あの瞬間が、わたしにとっては彼を留められたかもしれないほとんど最後の瞬間だったのだ。

涙がとまらない。これは彼のための涙じゃないだろうと思う。なんで泣くのか自分でもわからないけれど。わたしはたんに自分を憐れんで泣いているだけかもしれない。あるいは理由なんかなくて、これはたんに生理的な反応に過ぎないのかもしれない。涙を流しながら、このエントリを書いているわたしに、訃報を知らせた直後、カトリックの友人が彼のために捧げてくれた祈りが、また思い出されてくる。「天主の御母聖マリア、いまも臨終のときも、われら罪人のために祈りたまえ」

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