「エホバの証人と輸血の話」へのコメントとお返事

先日のエントリ、エホバの証人と輸血の話 - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wakeはてなブックマークでコメントを沢山いただきました*1。ありがとうございます。そのうちいくつか気になったものにお返事をいたします。

id:o_keke_nigel _Britty, *_Shu:宗教, *_I:医療, *_R:倫理 聖書で”血を食べてはいけない”(超要約)というのはなぜだろうか?と考えることは「中の人」には許されていないのだろうか。 2009/03/17

はてなブックマーク - o_keke_nigelのブックマーク / 2009年3月17日

そういうことはないでしょう。というより、前回は引用しませんが聖書に理由も書いてあります。『レビ記』には「血のうちに生命がある」「血は生命である」とあります。血というものが生命を担っているという古代ユダヤの生命観と、「神のものは神にのみ属す、他の用途に使ってはならない」という宗教観が合わさって、血を祭儀以外の一切のものに用いてはならないという律法に至ったのだと考えられます。

古代ユダヤでは、血は贖いの犠牲において流され、焼かれ、神に捧げられました。また人は犠牲獣の血を身に付けられて犠牲獣の頭に手をおいて一体となり、犠牲を焼き尽くすことによってその罪を赦されました。そうした祭儀のためにだけ獣の血は用いられ、常食することは許されなかった。祭儀の神聖さをそうしたことで守っていたのかとも思います。

なお血と生命を結びつける思考は、キリスト教のなかにもあります。少なくともわたしはそう理解しています。キリストの体を食べ血を飲むという祭儀がキリスト教の祭儀の中核にはありますが、これは信者がその聖なる体と血の飲食によってキリストの生命に与るということです。そういう意味では「血は神聖なものであり、生命である」という思考は、ユダヤ教からキリスト教へ、しかし大きく形を変えて、うけつがれているのかとも思います。

id:naok1991 医療, 宗教, 歴史, 社会 宗教のカルト化の要因の何割かは、宗教への忌避感覚が日本ではあると思う/また、普段から宗教に慣れとけば(入信するという意味ではなく)新規でカルトにはまる率も低くなるのではないかしら。 2009/03/17

はてなブックマーク - naok1991のブックマーク / 2009年3月17日

日本での新宗教と日本以外での新宗教の差、あるいはカルト化した宗教と社会とのかかわりの差を私は知りませんので、そういえるのかどうか。id:t-kawase さん辺りがうまく解説してくださることを期待。

普段から宗教に慣れるというのは大事だと思います。自分や他の人の属する宗教文化とその伝統について知ること、宗教一般について知識をもつこと、気軽に話せる文化的な話題として宗教に親しむこと、また信仰ということについて体験と理論の両方を通じて理解をもつことは、カルト化の兆候であるような現象に気づきやすくなることでもあると思うのです。

id:tikani_nemuru_M 宗教 灯台社(ものみの塔の前身)の明石順三は立派な宗教者だったと思うんだがね。最初からダメカルトってわけでもなかった。そこが厄介。 2009/03/16

はてなブックマーク - tikani_nemuru_Mのブックマーク / 2009年3月16日

明石順三は日本で最初に良心的兵役拒否を行った人として知られていますが、ご指摘のように初期に日本に『ものみの塔』を広めた人でもあります。というより、兵役拒否は彼の信仰の結実のひとつでした。戦後、戦争中のさまざまな教義と教団組織の変遷について異議を唱え、質問状を米国の本部に送ったところ、除名(エホバの証人の用語では「排斥」)されました。その後は仏教的な世界観に傾いていったともいわれますが詳しくは知りません。晩年は練馬にいたそうで*2、その地のエホバの証人のなかにはご家族と交流のある人もいたようですが、私はその機会を得ませんでした。明石氏については稲垣真美兵役を拒否した日本人―灯台社の戦時下抵抗』、岩波新書が詳しいです。書影はないのね……。

明石順三が人間として大きな魅力を持った人だっただろうというのは同意します。また彼の功績は教団内でさえ否定しきれないものでした(彼を排斥処分にした後でさえ)。その上で、明石順三の頃の教義に、問題のあるものがなかったかといえば、それは違うだろうと考えます。彼は輸血禁止時代とは縁がない人ですが、それでも1920年代から30年代のハルマゲドン予想を初めとする教団のヨハネの黙示録解釈のめまぐるしい変遷をリアルタイムで知っていたわけで、それを易々と受け入れるというのはどうかなあ、と思うのです。

id:nabeso 医療人類学 直観的に気持ちが悪いとまで思うような禁忌事項を解禁するとき、信者の人はどう思うんだろう? 2009/03/16

はてなブックマーク - nabesoのブックマーク / 2009年3月16日

そこで新しい光ですよ!! いやもうまじ。とほほですよね。でも、よい信者はそれで思考停止して新しい教理を信じます。エホバの証人というのはそういうものなんです。これがカルトでなくてなんだろうか。理性の完全な惰眠をわたしはそこに見出します。

なお、こういう欺瞞に耐えられなくて離教する人も多くいます。この前のハルマゲドン予言を外した効果もあって、信者数はピーク時よりは減ってきているようですし、「集会」と称する勉強会の日程も軽減され、教団はいろいろと引きとめ策を図っているようではあります。

id:WinterMute 宗教, 医療, カルト ハルマゲドンの延期と直前の恐怖は大泉実成が何度か書いてた。『説得』は名著なので再版してほしいなー/キリスト教の一派である、というのも誤解だとおもってたがどうなのかしらん 2009/03/16

はてなブックマーク - WinterMuteのブックマーク / 2009年3月16日

id:ghostbass 文化, 宗教 id:WinterMuteそうか誤解か。よくわからんけど。ユダヤ教を新しくした感じなのかね?(調べる気力なし) 2009/03/16

はてなブックマーク - ghostbassのブックマーク / 2009年3月16日

『説得』は絶版なのですか。よろしくありませんね。復刊ドットコムでリクエストします?

エホバの証人キリスト教かどうかは議論のあるところで、これはキリスト教をどう定義するかによって異なってきます。統計資料などでは「キリスト教の一派」「キリスト教派生の新宗教」と分類するところが多いようです。以前に別エントリ(アメリカ合衆国の諸宗教 - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wake)で参照した米国の諸宗教統計では、エホバの証人キリスト教の教派扱いされていました*3。一方で、キリスト教の教義の非常に狭く取るならば――たとえば「キリストを神であると認める」のがキリスト教――エホバの証人キリスト教に含めない見方もあると思います。ただ、その手の基準を使うと、歴史的にキリスト教内部にいた一派が除外されてしまうので宗教学的にはうまくないのだよね。

ユダヤ教を新しくした感じ、ううむ、でもそれも違うのじゃないかなあ。少なくとも安息日は守ってませんし、そうですね、でも復活祭を祝わずに過ぎ越しの初日を「主の記念式」と称して祝うので、そういう見方があることも分かります(一方で復活祭はユダヤの過ぎ越しと同じ日になってはいけない、とかなり前からキリスト教では決まっていて、それで「春分の後の満月のあとの日曜日」という計算法が取られている)。とはいえ多くのユダヤ教の伝統をエホバの証人は継承していません。そもそも「律法」の現在での効力をエホバの証人は認めていないので、ユダヤ教の流れにいるというのはどうだろう。

というわけで、おとしどころとしてはエホバの証人は「キリスト教派生の新宗教」、広くとればキリスト教、狭くとれば類似した(違う)なにか、というところではないでしょうか。

ひとまず、こんなところで。

関連エントリ:

*1:これを書いている時点で233ブックマーク。

*2:追記。ここは伝聞によっているので間違えているかもしれない。あるいは練馬にいたのはご家族のみであったかも。

*3:なおこの統計ではモルモン教キリスト教に含めている。