うみうしの日

これまでのお話

「亡夫はこの日の名称は「うみうしの日」であるべきだと強硬に主張しておりましたが、私が知る限りいまだかつて誰も賛成したことがないことに、日本国民の良識をみる思いがする」と先日書いたところ、はてな村のみなさまから件の名称に熱い賛同の意をいただきました。亡夫が聞いたら喜ぶことでしょう。いや違うな。「当然やん」っていうだけだな。

あるときわたくしが4月29日のことを「みどりの日」と当時の名称で呼んだところ、亡夫が「のんのんのん。『うみうしの日』」といいました。彼はわたくしに対しては本当に理不尽に振舞っていて、他の方には理由等きちんと説明するところ、わたくしに何かをいうときには結論だけいってその導出論理はわたくしに推測させるという何というかな「おいお茶」とかだけいって済ませる伝統的な日本の男の人と同じメンタリティなんじゃないかなこれは。と思うがまあそんなことをいっても奴が正面から取り合うはずもなく。いや一度だけまじめになぜそうなるのかをはかせたことがあったのですが三十分掛かったのでもういいと思った。おいといて。

「うみうしの日」については何故そういう理窟になるのかはわたくしにもよくわかりました。我々昭和四十年代生まれにとっては陛下といえば相模湾で舟遊びをして海生生物を採集されるお姿がなじみぶかく、とはいえ「那須や吹上の植物にだってご関心があったのだから『みどりの日』でいいじゃないの。それにこの時期は植樹祭だってあるんだし……」と一応の反論を試みますと彼はもういうべきことは全部いったという調子でにこにことして、
「うみうしの日」とだけいいました。

まあ百歩譲って海生生物にちなんだ名前でもいいよ(磯遊びにはまだ早いこの時期にはどうかと思うけれど)、しかしうみうしの日はやはり昭和天皇記念ということではいまひとつなんじゃないかと、そのときわたくしは思いました。それで
「むしろ『ヒドロゾアの日』ではないの」と訊くと彼はにこにこを崩さず
「うみうしの日」とだけいいました。

こうなったらもうだめなのです。誰が何をいっても――いや他の人がいえば違ったのかもしれないけどでも二人世帯だからね――彼を動かすことはできません。なのでわたしは妥協しました。「わかりましたうみうしのひですね」
「わかればよろしい」

というわけなので、わたくしの家では4月29日は「うみうしの日」です。