聖☆おにいさん三巻

でました。

復活祭のあと買ってきましたがまだ読めてません。今週中には手をつけたい。さて
http://anond.hatelabo.jp/20090428234551を興味深く読みました。疑似恋愛としてなりたっているかどうかはどうでもよく、まあ中世の西ヨーロッパには一度あっただけの女性(しかも人妻)に生涯操をたてて「恋愛」を貫いたり(文通すらした形跡がないが恋人なのだそうだ)、やたら遠いところに住んでいる当然これも人妻な貴婦人を思い浮かべて恋愛詩を書きまくったり、いまだったら非コミュだの非モテだの叩かれそうな人々が充満しているので脳内れない自体は目新しくないのだが。ていうか脳内嫁自体はおそらくヘレニズム期まで遡る現象だよねえ(ピュグマリオン説話:理想の女性を像に刻んでそれに恋をする)。文化がある程度爛熟すると、そして男性がもつ女性像が一定以上現実と乖離すると現れる現象なのかも知れず。

だが。宗教にしてしまうのはおもしろいとおもった&布教しないというのをさらにおもしろいとおもった。部族宗教なんかだと布教はしないのが多いのですが(神道も――歴史的にはそうでない筈だが――現代では布教しない宗教だよね)、完全な個人宗教というのは成り立つんだろうか、これは興味深い提題だと思いました。私的言語が可能かどうかという議論とも接続するかもしれません。

ところでブクマコメントでid:antonianさんがつっこんでいる「細部違う」の話ですが、ナザレのイエスは「土方の息子」ではなくて大工の息子ですし、釈迦ことガウタマ・シッダルタは出生の地は現在のブータンだし「ただの乞食」とはいいがたいかなと思います。元王族だし悟りを開いてからはわりとさくっと大教団を成立させてるし、やっぱちょっと違うかなーとおもいました。キリスト教徒と仏教のコネタいじりとしては『聖☆おにいさん』は確かに出色なので既刊三巻をお読みになることを一ファンとしておすすめいたしますです。