かわいそうだた

語らねばなるまい。

んで、皆様方に聞きたいのはさ色々あるんだけどさ

* 普通の人は理性で「惚れる」はある程度コントロール出来るもんなの?
* 出来るとしたら俺が出来ないのはなんでなのかなあ?
* 俺がコントロール出来るようになるにはどうしたらいいの?(少なくとも理性で「それはおかしい」と理解するだけでは無理だたーよ)
* 皆様方はどうやってコントロールしているの?

こんな感じ?

「ご多分に漏れず年齢=彼女いない歴の俺に女の気持ちを読む方法を教えてくれ。」を読んで沢山語っちゃうよ - Diary Blog of Dary

むり

そもそも「恋の山には孔子(くじ)の倒れ」という。どんな偉い人でも惚れたら七転八倒しコントロールできないというのは古今東西変わらない。「恋と戦争では何でも許される」と西欧の諺にもあるというがこれはまあ手練手管のことだろうからちょいと違うかもしれませんな。

ただし惚れる閾値は個人差があって、ちょっとしたことではスイッチの入らない人もいればやたらに入りまくる人もいる。シェイクスピアでも『ロミオとジュリエット』は一目ぼれだが『じゃじゃ馬ならし』では最初は反目から始まりだいぶん時間が掛かっているようである。まあ異性との接触が少ないとスイッチは入りやすくなるのかもしれず。

また最初みたときにスイッチが入らなくてもあとでじわじわ効いて来ることがある。わたしは亡夫とあったとき「うわ。この人とはぜったい寝ないわ」とこれはなんだろうな天啓のように思った(ふだん私は異性と、とりわけ研究だのFLOSSだので会うときにはそういうことをまったく考えないのだが)。亡夫は亡夫で「この人とは絶対結婚しないなあ」と思ったそうである。お互いなんともひどい第一印象だが、そのときとくにひどいことがあったというわけではない。大学でばったりあって、というか彼がやってきて「やあ」「?」「木津です」「ああ。どうも。はじめまして」という当たり障りのない挨拶をしただけのことである。なおそこで私がいる場所を彼がわかったのは学内のことゆえホスト名をみればどこにいるか分かるということで――彼が管理していた、というか世話人をしていたMLに、そのすこし前に私が投げたコマンドメールが到達したのである――、そのようにして互いの居場所を把握することは90年代の大阪の某大学のネットワークの使用者の間では常識の範疇だったのでとくにストーカーチックだとか考えることはなかった。我々が付き合いはじめたのはそれから1年後のことであった。

あとで私が「なに?あなた女の子と会うたびに結婚するかどうか考えてたの?なにそれ?」というと「ちがうよーそんなことないよー><」と半泣きになり「でもあのときは確かにそう思ったんだよ」と断言した。「君こそそれどうなの? いつもそういうこと最初に考えるの?」と突っ込み返してきたので「そんなわけないでしょ!」と即座にはねのけたのは無論である。

というわけで我々の脳のどこかにはそのような繁殖に向けられたとても鋭敏な感覚の座があるようなので、しかし我々ふたりのような文化文明に麻痺したものだとそれが明後日の方向に発露するようでもある。そういう電光のような閃きをそのまま観ずることは、この現代の世においてはきっと何か特別な恵みなのであろうから、そういう方はそのような己の資質を大事に思いこそすれ恥じることはないのだと思う。