宴の終わり

ウィキマニア2010(会期:7月9日〜11日)が終わった。開催地はポーランドのグダンスク。地元の人が好む別称は「自由と連帯の都市」。バルト海の古都として繁栄し、最近では共同労働組合「連帯」の発祥の地として知られる。そのときの労組委員長レフ・ワレサ共産党支配が終わったあとポーランド大統領になった。政治家としてのワレサは経済運営で成果を挙げることができず国内ではそれほど人気がないと聞くが、グダンスクではワレサの名は「連帯」とともにいまでも特別な感慨をもって記憶されているようで、いまだ存命ながら、グダンスク国際空港にはワレサの名がついている。

会場となったグダンスク交響会館は旧市街から少し離れていて、川中島のなかにあった。橋は会場と反対側にあって、ほとんどの場合はヨットが沢山停泊しているマリーナ沿いをてくてくと歩いていくのだが、日中は旧市街への渡し船が会場近くにあって、対岸の運河沿いに密集しているレストラン街と行き来することが出来た。

旧市街の中心は「長い広場」と呼ばれていた。長方形の広場が3つ、ひとつの通りを作るように続いており、「長い広場」はそのなかのひとつなのか総称なのか、ともかく川沿いの門をぐぐってずうっと進んでいくと、噴水があり、富裕な商人たちの集会所だったという館があり、かつての市庁舎があり、反対側へいくと大きな門がふたたび端にあって、少し行くと中央駅が瀟洒なたたずまいをみせていた。市街はじつは第二次世界大戦でほとんど破壊されて――そもそもグダンスクはドイツによるポーランド侵攻の開始地点だ――いまある旧市街は戦後の復元によるものだというが、そのことは市内にいるとほとんど意識されなかった。バルト海のほとりに短い夜を求める観光客がヨーロッパ中から押し寄せていて、「長い広場」では夜が更けても野外のカフェが客で賑わって英語やドイツ語やさまざまな会話が聞こえていた。

ウィキマニアの前日までがワールドカップ準決勝で、終了直後が決勝という、観戦にあまり差し支えない日程だったのは偶然だったのかどうなのか。ともかく前日までにグダンスク入りしたわたしたちは一緒に準決勝を楽しみ、そしてウィキマニアを迎えた。

ウィキマニアの日程をすべて終えた後はワールドカップ決勝、わたしは「長い広場」の端に掛けられた巨大スクリーンで観戦した。ベンチを並べて作った観戦席は100人くらいは収容できそうだったが、1時間前からすでに場所取りをする人で埋まりはじめていて、試合がはじまる直前にはかなり遠くまで立ち見の人が出ていた。どういう経緯があるのか、地元ポーランドの人たちはオランダを応援しているようだった。後半になるとちらほら「オランダ」と連呼する場面がでてきたのだが、延長戦に入ってから起きた合唱では、オランダ語の「ホランド」の連呼をポーランド語の「ホランディア」の声が圧倒するほどだった。なのでスペインがゴールを決めたときには、歓喜するスペイン人をよそに、深いため息が広場を一瞬覆った。

11時半過ぎ、試合が終わってからは、広場のみなが拍手し、オランダ人がスペイン人に祝福の握手を差し出し、観光地らしいくつろいだ雰囲気のなかに群集がようやくはじまったばかりの夜の闇へ四散していった。準決勝のオランダ戦をこき下ろしていたオランダ人の友人は「オランダはきょうはいい試合をした、クレバーでスマートなサッカーだった、イエローカードもオランダのはぜんぜん問題なかった」と論評したあと、「いや俺たちは勝ったよ、俺たちのほうがイエローカードいっぱい取ったよ」と主張しだした。そのあとバーへいったのだが、そこには知人のスペイン人がいて、来る人ごとに「あたしたち勝ったのよ」といって握手を求めていた。注文をとりにきたウェイトレスにまで「あたしたち勝ったのよ」と手を差しだし、にこやかに握手を返したあとそのまま戻っていったウェイトレスを、注文をまだ済ませていないわれわれは追いかけてつれもどすはめになり、オランダ人が深いため息をついた。

なおグダンスクは「ヨーロッパ文化首都」というイベント開催にも立候補しているそうで、それにからんだ地元来賓のスピーチもあったのだが、これを開会式でなく閉会式にもってきた、それもキーノートなどではなくごく短い挨拶にしたのはよくわかっているよなという気がした。こういうのを開会式でそれも延々とやられるといやな空気が蔓延するのだが、やることをやり終えてくつろいだ雰囲気のなかで、お越しいただきありがとうございます、よろしければもう数日ご滞在くださいという地元の人の挨拶をきくのは、悪くない。ことにその結びが、レフ・ワレサからのこれも短い挨拶と賞賛と激励を伝えるものであればいっそう。