KU 47-50
KU46節のあと50節まで天才論(51からジャンル別に個別芸術論へ)。しかしこれ、46-47除くと実質的には趣味論なのだ。47も模倣と独創がなぜ両立し得るかについての記述だし、趣味には一言も触れていないが「美しいもの」をめぐる議論である以上分析論(1-23)を踏まえていると考える。
47で Muster が問題になる(V. 185f.)。これはとりあえず芸術一般についてだとする。が習得可能性のとの連関。独創性(V.186)と公衆(V.187)との関係。
48前半はNS/KSの区別。KSは「論理的に制約された美的判断」(V.189)である。V.198f.の芸術理解はバロック的。だがラオコオン論争など踏まえていると見るべきか。芸術の優越性、「自然においては厭わしい……であろう事物を美しく記述する」(V198)。理想化(美の理想についての議論も参照せよ)
後半は趣味の定義を確認。「趣味はたんなる判定能力であり、生産的能力ではない」(V.191)。
一見脱線のようだが、「道徳的論文、たとえば(教会での)説教」(V. 191)が「芸術の形式」をもつ可能性、「しかしだからといってそれらが[美しい]芸術の作品であるというわけではない」(ebenda)、美の領域的自律性の確保、また美と倫理的領域の関係についての発言:他との参照要
48の結論としては趣味と天才が同じ対象に異なる仕方で関わることがいわれる(49、50を参照)。