さて、ひびき (Hall) あるいはかたり (Sprach) によって、ひとつの姿(Gestalt)は他の姿のうちへ描き入れられる。(SR1.4)
ルール:
- かたり
- Sprache
- ことば
- Wort
南原訳は区別していないが、Wort はヨハネ伝のロゴスの訳語に当たっているからキリスト論と直結する。少し慎重にわけていく必要あり。てかタイトル『「ひびき」と「かたり」』で出してるしな(w
- ひびき:テクストをチェック。Hall しかないはず。七つの質がらみと音楽がらみをチェックすればいいんだが。こういうとき e-text は便利。国際B協会で早くやってくれないかな。SR3,7,11-13あたりをおさらい。
- "Ich soll sein Inst. u. Saitenspiel seines ausgesprochenen Wortes und Halles sein;" "in dem herrlichen zugerichtteten Inst. GOttes" SR12.13 ひびきとことばの場としての楽器。というより「語られたことば」はBhm的にはひびきを離れてはありえないのか。vgl. Seelesbg.
- いや「ひびき」自体が形而上学的?術語なんだな。シェリングの「重力」概念みたいなもんで。もっとも靴屋は形而上学者ではないが。
- Gelassenheit. 南原訳では「ゆだねきる」SR12.14「静寂」SR12.20 などなど。人が沈黙するとき神の語りだしが聞こえるってか。
- ひびきとかたり H. oder Spr, SR1.4, 1.16. H, Stimme und Spr, SR1.16. 直感的な分かりやすさがある。
- ひびき2 と思ったら 12.12 に Schall. 南原訳では落とす。神的な Hall のらっぱ(Posaune)の Schall; koerperlich?
- ことば
エレメントの訳語を忘れてる。境位か。しかしここでは使えんな。
自然哲学がらみはごたごたするからメルクリウスの媒介性だけ云えばいいか。
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- あらゆる被造物は「語られたことば」であるが、人間はその中でも「神の像」(=キリスト・ことば)に「象られたもの」として神と他の被造物を媒介する位置にある:被造物の頂点としての人間 (vgl. SR12.13 usw.)
- 七つの質の階梯における「ことば」/メルクリウスから「ひびき」への移り行き
- 7つの姿 Gestalt SR4.4-12
- SR9.9-24 の sieben Gestalten は惑星版。メルクリウスは第六の姿。「第六の姿はメルクリウス、すなわち生、また愛と不安のうちなる決定あるいは形成するもの。」(SR9.18)
- SR4.16-17, SR4.19「天のM、すなわち永遠のことばのうちに」
- SR7.14 M. u. Qual.
- SR8.57 (天のM)=内のM/外のM
内なるメルクリウスによって、神のことば、あるいは神的なひびき−底なしの永遠の開示(啓示)としての−を(私は)理解し、外なるメルクリウスによって、自然の役人(Amtmann)−道具としての−を理解する。(この道具を)内なる、生ける、力あることばは、あるいは神的なひびきは用いる(fuhret)のである。(SR8.56)
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- なお SR14.12 では「四人の役人とは四つのエレメント(元素・境位)であって」。役人より管理者のほうがいいかな。