[Bhm.J]「神秘思想史」『西谷啓治著作集 第三巻』

基本に返って。でも結構強引な論文ではある。Auroraを若干参照するほかは、ほとんど後期(グルンスキーのいう第三波)による(それが問題だというわけではない)。読みはかなりに hineinlesen。
聖霊論にかなり力点がおかれてるなあ、この論文。以下旧字旧かなは現代語に置き換え。

  • 113頁。


そこから、父は……、或いは「いきどおり」「火」等とよばれ、或いは「愛」「光」等と呼ばれるのである。
−西谷、一三五頁。
ベーメでは「光」はどちらかというと子についていわれるのだと思って読んでたので「うっ」となるが、
子は「光よりの光」なので西谷の読みはより伝統に即しているといえる。まことに

人はここに思想の混乱を見てはならない。 −西谷、一三五頁。

  • 135-7頁。ベーメで難関のひとつ、聖霊と知恵(ソフィア)の関係を綺麗に解く。綺麗過ぎてベーメのテキストにどれだけ戻せるかという問題はあるが処理は見事。


三者がその働きに於いて分かれつつ然も一つに融合統一する時、もしその融合の面のみを取り出してみれば、
それは三者の各々のいづれでもなくして、三者の相互転入のいわば中和から生じる「一」であろう。
「智恵」とはかかるものと思われる。 −西谷、一三六頁。
東方神学の三一論とベーメの近親性をみたのはあながち間違いではないようだ。ベルジャーエフが紹介したのもそのあたりに着目してか。
なお

無底が……単に可能的なる一……であるに反して、「智恵」は三者顕示以後の、従って顕れた、……三−一者における基底又は基体である。−西谷、一三六頁。
これは三性の現実化(エネルゲイア)の把握としては面白いが、ベーメに対しては読み込みすぎのような気もする。
それとも智恵を根拠なり基体 (substantia)なりという箇所があるんだろか。

  • 140頁、注(1)「感受的」
  • 141頁、知的直観あるいはEinbildung, Imagination (又は Phantasie)。そういえば Sehen はあるが、Anschauen や Einbildungskraft はないような。Ch.Wolff?


西谷著作集、Bd3, ZZ2f. 5f, 7-10.

  • 140頁への注(2)。Sophia-Matrix-Mutter, 受動的にして産む者。女性性が受動性なのは時代の制約だからか。あまり引きづられたくないところではある。

西谷論文、主として『恩寵の選び』『大いなる神秘』によっているので今回直接使えるネタはなさげ。だが好著ではある。

  • 145頁注(1)、天使の肉体としての「精神的肉体」シェリング『クラーラ』の LuS-Bg との並置と「個別性を考える時」の、その意義の評価。なお143頁の「言葉」(Sprache)と「音声」(Schall)への言及にも留意。