[Bhm.J]「神秘思想史」『西谷啓治著作集 第三巻』寄り道

  • 151頁以下。根源悪の問題。


ZZ510f.
……、特殊者の自己収斂は究極的には神的自然の収斂性の現れである。即 150|151 神的自然が、
神的意志の根底として之と和合して働く代わりに、意志を介さずに直接に特殊者のうちへ現れることである(1)。
……、悪の起源は結局は、この Zorn が神の愛に根底である気概 (Zorn) として愛との和合的な働きのうちに
現れる代わりに、神の怒 (Zorn) として、愛の媒介によって「柔らげられずに」*1、直接に現れることといい得る(……)。

(1)特殊者が「愛の光」による神との合一に於いて、……「火花」(F&umul;nklein)を通じて、神的無底の闇のうちに立つ時、彼は真の意味で自由である。その時は闇は光の根底であり、闇としては現れない。この合一を離れて、自ら……無底の上に立たんとすれば、……、無底は直接に闇として彼のうちに現れる。

  • 153頁以下。偽ディオニュシオスの神概念とアウグスティヌスの悪概念の把握には疑問。結論の「神からの自由」「自律」(以上一五三頁)、「善と同時に悪への選択的自由の根拠」についてはほぼ同意。
  • 154頁。要約「ビバ、ベーメ」。初出一九三二年、『岩波講座・哲学』「思想史的哲学史」。三十二歳なので若書きではあるが、この論文には「先生ご自身によって各所に加筆訂正がなされている」松山康國「後記」、一九八六年十月七日。なので後で撤回したということはないと考えてよい。
  • 写真。http://d.hatena.ne.jp/mkimbara/20031222 ……グレイ?
  • SS.367-369 松山康國「後記」 要約「デムパを知るのはただデムパのみ」。西谷語録「行の及び得ぬ所を、知によって、さらに押しつめよ。また、その知の及び得ぬ所を、さらに、行によって突き抜けよ」(三六九頁)……京都学派って、すごいや。

*1:引用のようだが箇所は不明。De electione gratie, oder Von der Gnaden-Wahl からか?