宿題解決?

昨年あるところにメールを投げたのだが

│ゲルノート・ベーメ「ヤーコプ・ベーメ」G・ベーメ編、伊坂・長島監訳
│『われわれは「自然」をどう考えてきたか』どうぶつ社、一九九八年


│ 上掲論文のなかに、これは表題通り自然哲学通史本って読んでるよねきっと
│ 引用
│「そのさい、弁証法という表現はベーメにとっては、…略すぞ…一層ふさわし
│ く、…略…、ベーメの自然プロセス全体*1は、言語的プロセスとして、あるいは
│ より一般的に言えば、コミュニケーション的プロセス*2としても考えられるので
│ ある」(S.214上)

自然を力動的プロセス、かつ「意味あるもの」と見る視線がこの時期の自然哲学の前提である。それゆえに自然理解はこのプロセスに関与しうるとの構想が生まれる。自然諸物(もの)は静態的ではなく、化学的で、可変で、力動的なプロセスの中にあるものとして捉えられる。ここで「意味あるもの」は「しるし」Sig.と呼ばれる。「しるし」は、Pケルスス以来一般に使われる概念であって、Bの独創ではない。Bの独創はそのプロセス展開の独自性、すなわち「しるし」と「ひびき」概念の連関にこそある。「しるし」の「ひびき」を聞くことが自然の理解であり、返して「ひびく」「しるし」は自然の「かたり」、「語る言」である*3

その返しが

 #すごいぞヤコブ! さすがはベーメ! ビバあうろーら!

SRだって。という話はおき、同感です。アウローラはSig.概念知る前だから、語法が違うけど。

なので、G.B、表現としては新しいかもしれないが、靴屋解釈としては

極めてストレートな、というか正直な正面突破な読み

だということはテキストを当たったら分かったので、「解答」はいいです。でも意見募集中。

靴屋の自然概念(自然「プロセス」概念)とことば=キリスト概念(キリストのケノーシスとテオーシスのプロセス)の連関から、当然出て来得る穏当な解釈だよな。G.B.の読みって。あ、事後承諾サンクス、しかしML同報で公開私信だろ、そもそも?

  • '94年にネットニューズを「バロック的」と形容したのも確かおぬしよの。

メールの公開は一般には著作権法では攻められない、という話もありますが法学者の意見やいかに。もっともここで賭けられるのは「信義」なので一般にはお勧めしません。いやまずいなら消すし。

  • アベラール・エロイーズ往復書簡ってそういう意味でもすごい。特に第五書簡。えげつない手紙の極致。

ちなみに本当にやばいネタは私はメールでも送りません。その意味でも amazon.com とかは好きではない。クレジットカードナンバーを伝送するのは怖い。

追記: いずれにせよこちらのほうが格段に読みやすいでしょ? 著作権うんぬんは純粋に関心の問題。最高裁判決がないので意見が分かれるところとも聞く。

  • 君が争わないと予見した上で、争う場合開示されたほうにはどんな武器があるのかという純粋な興味。ちなみに私は論争だの裁判だの うざいこと は嫌いです。「コスタリカン」?

*1:Gernord B.の用語と思われる

*2:vgl.1.3: ひびきは他者理解の可能根拠として考えられる

*3:SR1.1f.