十二表法: ぶどうの樹は電気獏の夢を見るか

吉野悟『ローマ法とその社会』近藤出版社, 1976, p. 236.
http://alicia.zive.net/weblog/t-ohya/000044.html#more

(略)「樹を返せ」と言うべきところ「葡萄樹を返せ」と述べればすなわち敗訴というのが法の古層であります。
Posted by: おおや at 2004年04月02日 00:25



>「樹を返せ」と言うべきところ「葡萄樹を返せ」と述べればすなわち敗訴

よくわかだだいので解説を希望。典拠あるならそれも。
Posted by: Britty at 2004年04月02日 01:12

see. e.g.「ガイウスの伝える挿話は、人口に膾炙している。ぶどうの樹を伐られて訴えた被告が、おそらく陳述で、ぶどうの樹(ヴィテス)を伐ったから幾らの金額を請求すると述べて、敗訴した。十二表法は、他人の樹木(アルボレス)の伐採について訴権(アクチオ)を認めたが、ぶどうの樹とは決して述べていない。そういう理由で敗訴した、というのである。法律訴訟は、厳格な形式(フォルメン)をもっていた。」(吉野悟『ローマ法とその社会』近藤出版社, 1976, p. 236.)

初期の法において救済が得られるのはある一定の場合においてある一定の形式によって請求がなされた場合のみであり、法は訴え得る事例を訴権actioとして規定することで成り立っていました。つまり現代のように本権の存在を規定する実体法と、訴訟手続を規定する訴訟法が分化していなかったのであります。そこでは、たとえ実質的正義において配慮すべき理由がどれほどあろうとも、訴訟により保護される形式を構成できなかった時点で救済を得ることは不可能となったのであります。初期ローマ法が占有possessioという事実的概念とその移転における不正を扱うのみであり、正原因iusta causaを基礎とする所有dominatioの概念を扱わなかったことには、このような原因があります。

……というくらいでどうでしょう。
Posted by: おおや at 2004年04月02日 15:45

ありがとう斗先生。確かに厳格(類概念が種概念を包括していないというところがすごいな。さすがローマ人マンチキン*1だわ)。
http://www.perseus.tufts.edu/cache/perscoll_Greco-Roman.html#text1 で "Law" を検索語にして原文(の訳)を彫ろうとしましたが挫折しまいた。Gaius で引っかかったのはこちら
Gaius Valerius Catullus. Carmina. ed. Leonard C. Smithers. (English) (Catul.)

Gaius Valerius Catullus. Carmina. ed. Sir Richard Francis Burton. (English) (Catul.)
でもカトゥルスはカトゥルスでガイウスとは呼ばないよなあ。こちらか?
M. Tullius Cicero. Speech before Roman Citizens on Behalf of Gaius Rabirius, Defendant Against the Charge of Treason. ed. William Blake Tyrrell. (English) (Cic. Rab. Perd.)

... ローマ法有名人ならペルセウスにありそうなもんだけど。てか仮にガイウスたんのテクストなくても十二表法がないとは思えんのだが、こんなの
Demades. On the Twelve Years. (Greek) (Demad. 1)
しかなかったり、は、次のページを探せという罠か?
 明日以降にしよ。

*1:なぜ一発変換……