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id:contractio

たしかに人間の世界の事柄は、それほど真剣に取り組む価値はありません。……。いったい、わたしは何を言おうとしているのか、誰かがわたしの言葉をさえぎって尋ねるなら、おそらくそれは正しいでしょう。
803C(略)
わたしの言う意味は、……真剣でない事柄については真剣であるなということ、そして……、人間のほうは、……神の玩具としてつくられたものであり、そして……このことがまさに、人間にとって最善のことなのだということです。ですから、……、できるだけ見事な遊びを楽しみながら、その生涯を送らなければなりません。
プラトン『法律』第7巻、803B-C、池田美恵訳、岩波書店、一九七六年*1

vgl. Freuenspiel Gottes, Boehme, SR, 1622.
私としては

  • 散文萌えといいつつお前はミュートスしか書かんじゃないか
  • たまには断言しろ、というより自分の言葉で書け
  • ほんとは悲劇作家になりたかったんじゃないのか、やっぱり*2

……仕事仕事。
「供犠と祭礼と歌舞団とがすべての人びとにとって生涯の関心事であるような国家」835E、真剣な遊びとはミュートスの中にしかありえない。むしろミュートスの外で人は生きることが、また遊ぶことが出来るのかどうか。あるいは「ミュートスの外」に我々が立つ事はそも可能なのか。アドルノも読まなきゃだ。
803D-E 戦争と平和、人間形成(paideia, 教育とも)。s. auch Nomos, II.656C, 798C, VII.832D.

804B. ここでは事実上直接知は断念されている。神と人間の間の絶対的な懸崖。



805A-B. これってスラブ人やらで家父長制でかつ女性の発言力が大きい社会と同じ論理だよな。おそらくは現代社会もまた。
806A. 「シャドウ・ワーク」じゃないのか。まあ家政は国家の縮図だから論理的には一貫しているが。

816C-D. ドイツ観念論というか西洋形而上学の完成の一つの極はマルクスにあり、と最近はあまり聴かないのはなぜだろう。

人間の幸福を追求する点で、やっぱりこの人ソクラテスの弟子なんだなと痛感。「幸福の追求を断念する」という発想はギリシア人とは無縁なのか。アタラクシアも結局は幸福追求の問いへの答えだし。地獄への門は彼等とは疎遠。

XI.934E 「何びとも何びとに対しても悪口雑言してはならない」成文法で決める(べき)事項らしい。意味深。

日本の公教育ってほとんど法律教えないよな。今はどうか知らないけど。

*1:参照しているのは第五刷、一九九九年。

*2:Nomoiはドラマだそうだから、ある意味これは「親指Pの悲劇作家宣言」だよな。