岩波全集、牧野解説1巻

http://d.hatena.ne.jp/Britty/20040601
Lb. Monad. の各章が KU に一対一対応するという構想。K.はそういう凝り方をするだろうかは疑問。だが魅力的。どれだけ妥当かはわからないが、Lb.への言及が KU. にはそもそもあるので(第二部で)、Lb.とK.の関係はそれほど奇異ではない。またそういう時代(バロック)の人であることも確か。趣味においてはK.は徹底してバロックである(ロココではない)。北ドイツ的にバロック。その可能性を即断に排除することはできない。

対して PdKは? あれも通節構造だ。定理の形をとるのは Sp. を意識してだろう(Darst.d.m.Philos.以来お好みの形式)、この後 WS'04 も PdK と同じ形式なのは興味深い。だが Sp., Eth. では Lemma などはそれぞれまとめて取り出されるので、やや形式が相異する。第一部と第二部でナンバリングが変わるところも違う。あるいはこれも Sp. よりは KU (と Monad.)を意識したものか。……忘れたころに思い出すが、PdK のナンバリングはなぜこんなにやる気がないのだろう。ぶっつり 133 で終わっているようにしか見えない(I/V 627,II egIII(X?).278))。というより、V.627 で語りのモードが変わって、文中に小見出しが取り込まれて登場する。……七日目ごっこ? ともかく、これ Prastik までで終わって、Allg.Anm.-Dichtk.にこれまでと違う語りのモードを適応していることは確か。言語の絶対性?*1

*1:ポテンツの違いを反映し異なった分節:小見出しがあるので分節がないとはいえない