ないから欲求する、愛とはそういうものだとプラトンもいっている。違うか。主体が努力するのは定義から当たり前。subjectum (本来はこれも対象をさす語だった)を主体とし、それを自己表象(expreme)への努力=conatus とするのが Lb. なわけで以下略。

しかしフランクフルト学派ハーバーマスで代表されてしまうのか。20世紀は遠くなりにけりだねえ(しみじみ)。そうだ今日は喫茶店に行って『否定弁証法』を読もう。(→逃避行動)