近況

次回作は天才論ということに決める:目標は11月頃発表。その次はもしかすると法制史関係の論文誌を調達しなければいけない・かもしれないので、そのときはよろしくお願いします。>各位

最終的には1800から1802/3までの自然哲学と法論を踏まえて、かつ哲学史を通観しながらPdK第一部のモノグラフィー、になる予定(なんかこう書いたらえれぇ壮大な構想だな。大丈夫なのかな。)。少しだけ?Mk論が出るかも。Mkはポテンツ論と自然哲学両方へからむので、これは一本どこかに書いてから入れたいと思うが、まあまずは天才論に着手ということで。これはまだ予感だけれど、この構想が総体として正当なものであるなら、天才を語ることは、別の仕方で「最後のホメーロス」を探すことになるのだろう。

「英雄的な行為」が端的な美の規範となる時点で、K.とは決定的な相違があり、この点でむしろ知らぁさんとSchは近いのだが(そしてこの近さは明らかに意識されているだろう)、ただ後者にはある種の regorism があり、そこで優美さを規範として立てる前者とは違ってくる、というのは余談。もっとも Sch の規範意識は古代を理想としつつ、古代がもはや理想とはなりえないという自覚に貫かれているのではあるが。

naivでない人間だから、「近代と古代の相違」という観念に苦しめられるのだろう、とこれはある naiv な(と思われる。少なくとも楽天的であることには本人も同意するだろう)人と数度メールをとりかわして思ったこと。

しかしあくぃのの先生と比べると月産ペース遅すぎるな、わし。分野が違うせいにしておこう(ぉぃ)。

さあ、出掛けよう、知と法と詩の立ち現れる、その始原を見届けるために。