あなたを忘れない

だがウィキペディアでは忘れ去られているようだ。削除票のついた削除依頼が年を越している。

予告編を見に行ってちょっと泣いた。だがだいぶ話を作っているなあ……。そのときホームには人はまばらだったと聞いているが。NHKクローズアップ現代では、「儒教」「軍隊経験」等に彼の行動の淵源を求めた製作側に対し、韓国側の関係者はそういうステレオタイプではなく彼の人間性に注目すべきだと反発して脚本を書き直す過程を紹介していたが、結局ショーアップに終わることになった。まあ物語はそういうものだとして、なんだか聖人伝が、龍退治だのなんだの、超人的な活躍をする話にどんどんなっていく過程を思い出させる。事実より面白さ?*1

李さんの遺族や関係者はこれをみて何を思ったのだろうか。と思い、一方で、釈然としない気持ちと、それを契機にして甦る自分の記憶の間で、揺れておられるのであろう、そしてそれはいい悪いで語りうる単純なものではないだろうと、自分にひきつけてであるが、思う。

それを記憶ということが正しいのか――それは別の話だろうと、思う。正しいのではないとしたら、正しい記憶とはどのようなものでありえるだろうか。――そのとき全知のもの以外に記憶とは可能なのだろうか。そしてそれを我々はなお記憶といいうるのだろうか。過ぎ去らないものにとって、おそらくすべては過ぎ去らない。しかし我々にとっての記憶とはただ過ぎ去るものに対してのみありうる。消滅と生起との間に、我々にとっての世界のすべては開いていて、我々は自身ではそこからは出て行くことがない。おそらくそのような不完全な我々にとっての過去の不完全な表象能力としてのみ、我々の記憶はあるのだろう。しかし、それでも忘却に抗うことで、拓かれうる世界のさまを、私は信じていたい、と思った。

*1:記憶に情報を留めるためには、それは必要な加工なのだという、説を聞いた覚えもある。我々は情報をそのままは保存できない。解釈し、変形し、そのことによって既存の情報と結びつけ、それを記憶する。