荒野の修道院

聖エカテリナ修道院(別称・聖カテリナ修道院)には二連泊した。あるサイトでいわれたように、ある意味で「何もない」場所だった。修道院の見学時間は午前中の数時間だけで、そのあとは城壁の外から眺めてお茶でも飲んでいるしかない。シナイ山に登ることは出来るが、これも比較的近い修道院からでも上り3時間かかる場所で、到底気軽にいける場所ではない。現地のベドウィンは冗談か本気かは知らず、夜には山犬の出る場所で一人では危険だといっていた(夜、山を歩いたときにそれらしい吼え声は聞かなかったが、登山道には人が沢山いたからかもしれない)。

でも、エジプトでひとつだけ場所をあげろといわれたら、私は聖エカテリナ修道院を推す。何も特別なことがない、門の内外でなにか大きな変化があるわけでもない、でもそのことが、その地を離れて時間がたつほどに、かけがえなく貴重なものに、思われる。聖地と人はいうが、なにか特別なことを期待した人はおそらくがっかりするだろう。荒野の谷に城壁を築き、若干名の修道士が住んでいて、その日常の世話をする地元のベドウィンが雇われていて、毎日少しずつゲストハウスに滞在する人が入れ替わって(ゲストハウスは比較的大きいものだが、実際にいたのは私が滞在していたときで多いときで50人、少ないときで20人程度であった)、毎日定時になると鐘がなって祈祷が行われている。いってみれば、ただそれだけの場所であるから。

でも、そこには生活があった。そして生活だけがあった。損なわていない生活、といえば大仰に過ぎるだろうか。しかし、私がそこで見たものは、人の営みとその健やか、そのよさであったということに尽きるように思う。

祈祷は、修道院で聞いたところによれば、午前6時、午前9時、午後54*1時の三回で、どれも信者でも参加できるという。ほかに午前4時前にも鐘がなり、あるいはこれも聖堂での祈祷かもしれないが、それについては訊かなかった。私は夕方の祈祷と朝6時の祈祷に参加したが、夕方のは晩課、朝のは聖体礼儀のようだった。場所はどちらも主の顕栄聖堂、修道院で一番大きなバシリカ式聖堂で行われる。朝6時の祈祷には、旅行者なのか地元の信者なのか私のほかにも参列者が2人いて、うち1人は確実に信者さんのようだった。

修道院には電気もきており、宝物館などでは使われていたが、顕栄聖堂の灯りは蝋燭のみだった。街の教会と異なり信者が聖堂内で蝋燭を捧げるということはなくて、お祈りの最中に係りの修道士さんがすでに蝋燭のいろいろ挿してある大きな銀の大燭台に、その燭台につき1本だけ火を灯し、お祈りの終わる前に消していくのであった。聖所とは壁で仕切られた細長い啓蒙所はイコンの展示に使われているのだが、お祈りの際にはそれらのイコンにも炉儀が行われて、なので聖所の扉(ユスティニアヌスの扉という名がついた、木製の大きな扉)を炉儀の修道士が出て行ったあと*2、しばらく聖所には鈴の音だけが聞こえて、高窓からさしてくる日の光のなかに乳香の煙が細く流れていた。聖所の中ほどに「焼けざる柴」の小さなイコンが置かれており、入ってくる修道士や信者はそのイコンに崇敬を行っていた。だいぶん古いもののようで、表面は煤けており、図像はやや判別しづらくなっていた。また、聖体礼儀のあとで、格別のご好意をいただき、聖エカテリナの不朽体に対面して崇敬する機会を得ることができた。まことにありがたいことである。旅の無事を祈ってくださった皆様にも、改めて感謝申し上げたく思います。

すでに書いたが、修道院はとても居心地のよいところだった。ほとんどの人は一泊で修道院のゲストハウスを去るのだが、なかにはその静寂を愛して再び訪れ数泊している人もいた。その価値はあると思う。荒野のただなかにあって、とても穏やかな優しい世界がそこにはある、と書くと、門の内外に厳しい対立があるようにも響きかねないが、むしろその逆で、修道院はすぐ近くのベドウィンの村やシナイの険しい稜線と一緒になって、ただ静かにそこに存在しているのであった。そのたたずまいの端正さは決して厳しい神経質なものではなく、ごくあたりまえの日常の貌をして、あの谷をどっしりした安心感で満たしていた。そしてそれはどこからから落ちてきた恵まれたようなものではなくて、芳しい香草の庭や乳香の残り香、訓練の行き届いた従業員や、いまも修復を続けている修道院の建造物、巡礼の人たちから従業員である地元のベドウィンも交えつつ、修道士の方々が日々たゆみなく作り出しているものに違いなかったが、そのことについての労苦というのは通りすがりの旅行者には見えず、ただ安和と静寂のうちに夕べがあり、朝があった。「天の国はあなたがたの中にある」「二人・三人が集まって祈るところにはわたしもいる」ということばと、その充実した穏やかさ、大いなる平安とは通じるものであるように思われる。

とはいえそれは、もっとも古い修道院、そのかみモーセに神が顕れたという特別な場所でのことではないかと人はいうかもしれない。そうかもしれない。だが私が見たのは、修道院の聖堂とその荘厳の特別さよりも、むしろそれが自分が街の教会で出会うものとそう遠くない親しみのもてる何かであるということだった。より生きることが容易いはずの場所である街の生活の中で忘れられてはいるが、しかしそこでも実現可能な何かであった。まことに、天の国はどこか特別な場所にではなく、むしろただ人の営みのうちに――少なくとも我々理性と身体をもった存在者にとっては――示現し、そのほかの場所にはないということが、あの荒野の谷を去って時間がたつほどに、私には確信をもって感じられてくるのである。

荒野の修道院に見出したその平安を、荒野に残して去るのではなく、つねに自分のうちに抱いていられたらと、いまは思う。思う一方で、日常の騒擾のなかに戻ると、ついそのことを忘れそうになる。修道院でいただいた指輪を戒めにも記念にもして、修道院とその平安を、長く記憶していきたいと、願っている。

*1:旅行中にとったメモを確認したところ、5時でした。。

*2:司祭なのか輔祭なのか、私の知識ではよく分からなかった