家族が死にたくなっているとき

ここからはうつ病患者の家族の方へ。同じ穴の狢として。

わたしは亡夫の病気について、ひとつだけ大きく後悔していることがあります。亡夫の主治医と生前面談しなかったことです。

夫は7年前のちょうどいまごろ希死念慮を打ち明けました。9月の、夜中でした。2001年。もう9・11のあとだったことは覚えています。私は泣いてすがって、彼にようよう「もうそんなこと考えない」と約束してもらいました。うつ病なのだと思いました。ですが、すぐに彼を精神科に連れて行くことは出来ませんでした。彼が通院を始めるまでの半月間、毎朝胃がちぎれるような思いで、出勤する彼の背中を見ていました。

亡夫はあからさまに主治医との面談を求めませんでしたが、実は彼もそれを望んでいたんじゃないかと後で気がつきました。通院をはじめてから半月くらいして、いちど、わたしの睡眠時間が不規則なことによせて、「君もいちど見てもらったほうがいいんじゃない?」といったのです。そのときは忙しいしそこまでのこともないだろうと見送ったのですが、今考えると、あれは彼の病状について聞くチャンスだった。そして主治医には守秘義務があるとはいえ、家族(配偶者や親)にはきちんと話をしてくれるのです。だから、あのとき、私は彼の主治医と話をしておいたほうがよかった。ということは彼の死後になって気づきました。

結局、彼は、主治医に対して自分の希死念慮を打ち明けませんでした。主治医がそのことを知ったのは、私の口から、彼の死後三日が経っていました。もちろん警察から連絡がいって、主治医は彼の自死自体はすでに知っていたのですが、そのとき主治医が棒を飲んだような顔色になったことを今でも覚えています。

通院をしているから、患者はお医者様になんでも打ち明けているかといえば、そうではない、というのを私はそこで初めて知りました。専門家との信頼関係のなかで出来る話と、家族との信頼関係のなかで出来る話は、完全には同じではないのだと知りました。知ったときにはもう遅すぎたのですが。

私が主治医と話していたとしても彼は結局死を選んだのかもしれません。私にはそれはもう分かりません。ですが、出来たことをしなかったことで悔やむよりは、出来るだけのことをしたほうがよかっただろうと思っています。

いまこれを読んでいるあなたに、精神科や心療内科で通院加療中のご家族がいるなら、どうか一度でも時間を作って、主治医とあなたと二人で話をする時間をつくってあげてください。