小中高


淀川の河川敷でたらふくジンギスカンを食べた後、たまたま方向が同じだった知人の車に便乗して街まで出る。10歳くらいは上で、私が院生だったときにその大学の工学系学部の先生だった方、いまでは山陰のとある大学で教えておられる。

5分ほどのドライブ、よく晴れていて高架の上からは都心のスカイラインが綺麗にみえる。たまたまビルの屋上にあった看板が、あれはどうも最近短大が四年制になったものか、とにかく10年は大阪にいたはずの二人とも知らない大学で、そこから今の学生さんの話になった。

「昔の学部生のほうが今の院生より出来がよかった」と仰るので、先生はなにが原因だとお考えになります、と訊けば「小中高」と返る。基礎学力が出来ていないままで進学してくるのでその上に知識を積めない、ということだろうか、それも年々ひどくなるという。そうして、高校の先生は中学に、中学の先生は小学校に原因があるといい、小学校の先生は幼稚園できちんと生活習慣がついてこないのがいけないというらしいが、しかしこの国ではまだ幼稚園は義務教育じゃないのだよな/結局は家庭の責任だろう……。

いまの日本では義務教育期間中、落第ということがないのだが、あれがいけないよね、ということで意見が一致する。その学年で身に付けるべき最低限のことを身に付けずに進級だけはして、それで上の学年・上の学校にいって、そこで壁にあたる。いやその壁を感じているのは教師だけなのかもしれないが。小学校から落第ということをいれて、さらに中学や高校の卒業では資格試験をやって合格しなければ卒業できないというふうにする――それである学歴をもっていたらある一定の知識なり学力なりの水準が保証されるというふうにしたほうがいいよね、いやぜひそうしなければいけない、と我々は意見が一致し、「学力付いてないのに上にあげられてしまうのかわいそうやん」と運転席の先生が二回繰り返したところで車が駐車場についた。

一日一チベットリンクhttp://sankei.jp.msn.com/world/china/081102/chn0811021637000-n1.htm