なにいってっかわかんねーよ

昨日、私はこう書いた。

日本語の言い回しをそのまま英語に置き換えて、それは英語としてはやや破格だが意味が通じないわけではなく、かえってなにかいわくいいがたいニュアンスを与えてくれる。外国人の話す言語というのはそれでいいのだと思う。

うすら馬鹿に見える7つの言い回し - 鰤端末鉄野菜

私は基本的にはそう考えている、だが、どんな日本語の言い回しでも直訳すればそのまま通じる、ということをいったつもりではない。そう取られた方がいたならお詫びをする。

「日本人の英語が通じない」ということは、ある局面では起こりえて、私も友人から「俺日本人の英語わかんないんだよ、頼むよ〜(=彼らに英語で喋らせるのではなくて、日本語で喋らせてお前が通訳しろ)*1」と泣きつかれたことが何度かある。だが、ここで注目したいのは、構文のレベル等ではそうした「日本人の英語」は間違ってはいないことが多い、ということである。間違ってはいないが、非文(文法的に間違いとはいえないが実際には使われない文)であることが多い。非常に多い。だから、ネイティブ・スピーカーには、逆に通じない。

これは英語が分かる分からないということではなくて、その根底にある世界観が通交しないということだと思われる。つまり日本語にありがちな「…になる」「…がある」という言い方は、英語では、いや大抵の印欧語ではそのまま通じない。たいていの欧米人はこのアニミズム的世界観を理解できないように経験からは思われる。この点で大いに参考になったのは、昨日も紹介した倉谷直臣『英会話上達法 (講談社現代新書 470)』、そしてドイツ語文法書だが関口存男*2・関口一郎『関口・初等ドイツ語講座』の非人称構文についての記述でCD付 関口・初等ドイツ語講座〈上巻〉、どちらも「誰か/何かが何かをする」という枠組みで印欧語が世界を把握していることを教えてくれる。

そこでは雨がどこかから降るのではなく、正体不明の「”それ”が雨を降らせる」(It rains)のであり、
何時だかに店が閉まるのではなく「おまえが店を閉める」(What time do you close?) のであり、
そうすることになった、のではなくて「俺がこれをやる」(I'll do it)のである。
英語を含め印欧語を話すというのは、そういう俺が俺が俺が的な、悪く云えば下品で騒がしい、よく云えば主体的な行為者、理性的な動物の国として世界を眺めるということでもある。ここを誤解すると、どんなに文法的に正しい文を作っても相手に通じない、ということがおきる。それは文法や語彙といった技能の問題ではなく、日本語と、それとは違う世界把握をしているもうひとつの人類文化との間の、相互の洞察と理解の問題なのである。

さしあたり、英語を通してみる暑苦しくも賑やかな世界がどんなものか簡単に覗いて見るには、「れる」「られる」「なる」を使わずにいろいろのことどもを表現する練習をしてみるとよい。それも小学生に説明するつもりで出来るだけ簡単な言葉を選んでみる。そうして、次に英語に置き換えてみる――それだけであなたの英語は「英語らしい英語」に近づくはずだ。

2008.11.15 追記:この項続く

一日一チベットリンク http://sankei.jp.msn.com/world/europe/081114/erp0811140341000-n1.htm

*1:11.15 追記。コメントをいただいて、小なりとはいえ誤解を呼ぶ表現であることに気がついた。ここでいうのは基本的にインターネット上のメールやウィキを用いたやりとりの場合である。なので「喋る/通訳する」より「書く/翻訳する」のほうがよいかもしれない。なお日本語でそうであるように、英語でもネット上で読み書きすることを会話の類推で「話す/聞く」と表現することは、少なくとも私の周りでは、ままある。

*2:関口存男さんという人はドイツ語文法研究では世界的に有名で、その発案した文法用語の一部はドイツ語に翻訳されて正規の文法用語として使われているほどの大碩学である。