Conference Aired

Wikimania on air という提案があって、つまり地上でやると絶対経済的理由や政治的理由等により参加できない人が出るので、また地上で会場を借りてするからにはキャパシティによる制約などもありよろしくない、ゆえにぜんぶウィキとチャットと動画中継で発表と議論をやってしまおうという半分冗談でしかし本人たちはまじめだと主張するたぐいの提案である。参加できないというのは、渡航費用はまだ調達できても、たとえば「兵役を済ませていない男性は海外渡航できない」とか「兵役中であり賜暇が取れる状況ではない」とか「ビザの発給を拒否された」等々かならず出席できない人は出てきてしまう。まあ、我々だけじゃなくて国際会議というものはどこでもそうなんだろうけど。

という話を「勉強会しましょうか」が世界を変える − @IT自分戦略研究所を読んでいて思い出した。いろいろ思うところはあるのだが、それはおいておいて、私のような下流の人間からすると、1日1万数千円のコンベンションにしかも交通費宿泊費を加えて参加するというような贅沢は不可能なので、中継がなかったらその内容に触れる機会はない。他にもっと自分にとっては優先度の高い学会やコンベンションなどあるのでなおさらである。そういう人はわたしだけでもないだろうと思う。学生だったり休めない仕事があったり求職中だったり、ある場所で行われるイベントに参加できない理由はいくらでもありえる。仕事はともかく、まあそういった貧乏人は大会主催者からすると対象外なのかもしれないが――国際学会で大会参加費が数万円台というのはよくある、それは大抵の場合出席者の所属機関が負担したり、あるいは学割などがあるのでどうにかなる、だからこれは「IW2008高いよ」ということではない。イベントの価格の適正さをここで論じたいわけではない、あくまでもわたし個人を含む参加者個々人の出費可能性だけを考えている――ここまで考えて、再びまてよと思った。国際学会なら数万円というのはあるが、しかし「中継がなければ来るだろう」というのは国際学会の発想ではない。上で書いたように国家レベルの障碍がいろいろ存在して、たとえ費用の上で何の問題もなくても、出席できないということはありえるのだから。

世界を変えるといいつつ、国内だけが想定オーディエンスというのは、ちょっとバランス悪いのではないかなあ、と批判ではないけれど、Icopa の中継をみながら「そこでいわれる、『世界をかえる』の『世界』ってなんなのだろう」と何か少しすっきりとは理解できない気がしたのを、改めて思い出した。

批判じゃない、というのはむしろこれを自分の――ウィキマニア2009実行委員としての――問題として考えたいからで、我々が各地で開催しているコンベンションが、英語で・動画等の中継があって・一部の出席者にはスポンサーの支援により旅費を支給して・ということでただちに「国際的に開かれている」のかといえばやはりそうではない、という危機感を私は持っている。世界のすべてが英語の口頭コミュニケーションを理解できるわけではなくて、来年は地元チームの努力でスペイン語の同時通訳は入るようなのだが、しかし他の言語への通訳は依然として入らない。実行委員会のなかには「この問題について多少なりとも発言するほどの人は普通英語が分かる」的な発想をもっている人もいて、さすがに英語母語話者はそんな露骨なことをいわないけれど、しかし趨勢としては英語が出来る人が全体を牽引していくというのが暗黙の了解になっている――自分としてはこの状態には満足してはいなくて、非英語圏への情報発信に努めているのも上に述べたある種の危機感があるからなのだが、しかし実績としては、過去4回、多少現地配布資料に開催地の言語を混ぜられたくらいで、ウィキマニアはずっと「英語のカンファレンス」であり続けている。そもそも運営委員会自体が英語が出来なければ意思疎通が不可能な状態で、そのなかでも自分の意見がありながら「ぼくは英語ができないから、速く喋れないんだ」というような理由でIRCなどの会議であまり発言しない人などがいたりもする。

ウィキメディア運動のなかで、自分の立ち位置は、英語以外の言語話者*1が、英語で運営されているプロジェクトに対して、自分の意見を反映させていくことを促し、またそのための環境を作ることだと考えている私にとって、自分のプロジェクトと直接関わらないとはいえ、日本語圏のアクティブな計算機技術者さんたちが日本語圏に閉じている――ようにみえる――ことは少し残念な気がする。日本の技術は世界的にまだ高い水準にあって注目されている、その自覚をもっともってほしいとも思っている。日本語圏で発信される情報を英語に翻訳することも情報発信のあり方のひとつだが、日本語のままで発信しつづけ、ただ少しアクセシビリティを上げて、日本語が出来るようになればもっと良質の情報が手に入るということをまず認知させるのもやり方ではないだろうか。そのような思いをもっているものからすると、「中継をやめれば参加者も増える」というのは、だいぶん違う発想だなあ、と寂しく思われてならない。

私が文脈を取り違えていて、たんに誤解しているのだと、いいのだけれど。

自分でも何がひっかかっているのか、実はまだはっきり分かっていない。言語化したらもう少し見えてくるのかなと思ってこのエントリを書いてみたが、さほどでもなかった。何かまだ大事なことを見逃しているような、もどかしさがつのっただけのような気もする。ウィキマニア2009の開催は来年の8月下旬、一部の議論は動き出したが具体的な作業に入るのはおそらく来年の2月・3月になるだろう。具体的な実施プランを固めるまでの間、中継も含めて、「開かれた/参加しやすいカンファレンスとは何か」ということを、少しゆっくりと考えていきたいと思っている。

*1:日本語話者も当然含まれるが、しかしわたしの関心は日本語圏だけにあるわけではない。話者数でいえば、中国語やアラビア語などの方が多いし、言語人口だけでなく識字人口やインターネット普及率も考えた上で、デジタル世界の南北問題を解消していくことが我々ウィキメディアンの仕事だと思っている。