大阪の大学・2

院に入ってから大阪の大学に通うようになったのですが、そこは昔から理工系が有名なところで、ていうか文学部が出来たのは私が生まれるちょっと前というところで、学内にすら「うちに文学部があったんですか!」というようなことをいう人が、多数おりました。まあ、理学部の人たちは、体育で*1文学部と一緒になるので我々の存在を知覚してはいたらしいのですが。

工学部というのはどこでもそうらしいのですが、男子生徒学生が多くいます。文学部だと男女比半々くらいなので、工学部のひとたちが連れ立って歩いていると、なんとも黒々とした感じを受けました。後に私の夫になる人は情報工学科というところの出で、ここも平生は男子生徒学生が多いのですが、ときどき突発的に女子学生が増えることがあって、彼が入った年はたまたまその当たり年だったらしいのです。80人いる学生のうち女子学生が10人だったそうです。そうして、そのかなりが彼のいた研究室に配属されました(お葬式のときにみなさん来てくださったのですが、3人くらい女性がいた記憶があります)。

亡夫はもともと共学の高校でしたし、そのときの部活でも女子生徒は相応にいて、というわけで工学系には珍しく女の子慣れはしているようでした。女の子と緊張せずに話せる、ということはあとで見ていると、工学系では誰にでもある資質のようではありませんでした。とはいえ、それはモテるモテないとは次元の違う話。彼も、自己申告によれば、入学してしばらくを除いては*2、付き合っている女の子はとくにいなかったそうです。なんでも「あの子いいなあ」と思っているうちに他の男の子と付き合っていることがわかってひっそり断念するの繰り返しだったそうです。いっぽう、同級生だった女の子によれば「えー意外」「学外に彼女がいるんだとばっかり。……君はうちの女の子なんか眼中にないんだと思ってました」「でもそのいい出せなくてっていうのはすごいわかるww」だそうで、ううんこんなところにもマッチングミスってあるのだなあ、としみじみさせられます。恋愛市場は高学歴志向とかいいますが、それはかなりにマスコミの方々が作ったお話で、現実にはこうした売りに出されていることすら世間に知られていない店頭在庫が沢山あるのですね。はてなをたまににぎわす非モテ話に、ああきっと事情はわたしたちが学部の学生だった20年前とそうは違わないのだろうなあと思います。閑話休題

ともかく付き合いだす前から、亡夫が女の子慣れしているのは、わかっていました。そもそも付き合いだすきっかけは、彼がそれまで一緒にご飯を食べていた友達(男性)が何かの事情でいなくなってしまい*3、「ひとりでご飯を食べるのつまらないなあ。誰か話の面白い人がいないかしらん」と、たまたま生活圏の近かった私にメールをよこして夕ご飯――って生協ですが――を一緒に食べるようになったことでした。そんなだから女の子と話すのに気後れするということは彼にはまずないように見えました。いやむしろ逆で、親しくなってくると、彼の同級生や友達やらとのエピソードをいろいろ聞かせられるのですが、そこに出てくる女の子の名前が全部下の名前なんですね。名字でなく。

曰く、みかさん(仮名)。まきさん(仮名)。みすずっちゃん(仮名)。しょうこさん(仮名)。切りがないのでやめますが、ほとんどこんな感じ。そうして、わたしのことは、名字で、さんづけして、彼は呼ぶのでした。私はそのとき彼と既に婚約して、わたしたちは両方の親に挨拶も済ませていたのですが。

私は切れました。彼は最初私がなんで怒っているのか分からなかったようでした。「えっと、でもずっとまきさん(仮名)って呼んでるし、いまから変えるのは変だよ……」。私は泣いて抗議しました。「そこを変えろって云ってないでしょ。なんでまきさん(仮名)はまきさんで、わたしはさかいさん(=名字)なの。逆でしょ。ふつう逆でしょ。あたし、あなたと婚約してるのよ。あたしたちもうすぐ夫婦になるのよ」。さすがに彼もそこまでいわれて、それはまずいことなのだということは理解したようでした。ようでしたが「えっとね、でも、大事なひとだからきちんと呼びたいの……」「君ぜんぜん分かってない!!」

恥ずかしいとかごにょごにょいってましたが、ともかくその場で呼び名を改めさせることには成功しました。男の子って、ほんと、難儀だよね。

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追記:上で参照したid:Masao_hateさんのエントリをきのう読んでから、ずっとひっかかっていたことがようやく言語化できた気がする――Masao_hateさんは「非モテ」を恋愛に限定することに異議を唱えておられるのだけど、それはやはり違うのではないかと思った。恋愛という性愛を介した対他関係と、性愛を介さない対他関係には、いろいろと異なる作法があって、その違いは、相手が異性――というか性的対象となりえるセクシュアリティの持ち主である場合でも残る。相手が自分にとって性的交流の対象でない限り、その差異は顕在化せず、性愛を介在させる関係性に固有の作法にしたがって振舞うことを人はしないからだ。対幻想の差と共同幻想の差といってもいいかもしれない。それで、異性の(より精確には自分のセクシュアリティにとって性的対象となりえる)友人とコミュニケーションを取ることと、恋人(あるいは潜勢的な恋人)とコミュニケーションを取ることは違って、「非モテ」はあくまでも後者にかかわることばなのではないか。異性であろうと同性であろうと、性が関係性に介在しない場で「非モテ」をいうことは違うんじゃないかと、非モテをめぐる過去の長大な議論は追っていないので的外れなことをいっているかもしれませんが、思いました。

*1:当時、日本の大学では学部の1年2年で体育が必修だった。いまは文科省の方針が変わり、というか設置基準緩和の影響らしいのですが、そうではないらしいです。

*2:つまり「高校のときの彼女」。

*3:就職したか、研究室が移転していなくなったか。