なんということもない一日・早朝篇

寒い。

7時頃になって、もう日も昇ったはずとカーテンを開ける。雲はあるが雨になりそうな天気でもない。ベランダに出てみる。めたくそ寒いんですけど。やはり今日着ていくのはグレーのウールのスーツにする。……問題はスカートにするかパンツにするかだ。スカートだと足元寒いんだよな。

まあ10時半に家を出ればいいので、もう少し後になってから考えることにする。比較的よい天気になったのは、よかった。

これから出掛けるというのに台所を掃除してみる。なくなった人は食器の洗い物はよくやったが、シンクとかレンジ周りとかの掃除はあまりやらなかった。好き嫌いというより意識から落ちているという感じ。三つ子の魂というが、子どもの頃から自分の仕事の分担領域でなかったことが尾を引いたのかなと思う。

シンクが綺麗になると、ちょっと仕事をしたという気がする。8時半。まだ早いけど、お茶にしようかな。せっかくジャムをあけたばかりなので、濃い目の紅茶をいれて、ロシアンティーにしてみようと思う。ちょうど週刊子どもニュースの時間になっているし、一息つくには、よい時刻。

8:43 いちごジャムのあとでいただくとりんごジャムの酸味が強いのにびっくりする。ロシアンティーにはベリーのほうがあうのかも知れない。私は最近まで知らなかったのだが、紅茶のなかにジャムを落とすのはロシアの飲み方ではないそうだ。カイロからルクソールまで隣の席にいたロシア人から聞いた。それで日本に戻ってからウェブで調べるとその通りで、濃く淹れた紅茶をお湯で割って調節し、ジャムやそのほかの甘いものを肴に茶を飲むということだった。ロシアによい葉がこなかったからそんな飲み方が発達したのか、ロシア人がぞんざいなのか、他に理由があるのかは、知らない。でも気軽に飲める飲み方であることは確かで、おいしいジャムのあるときやミルクティーではすこし重いときには、ジャムを嘗めながら紅茶を飲む習慣がついた。

7年というのはやはり決して短い時間ではなくて――すでに彼と一緒にいた時間より、別れてからのほうが長い――、彼といた頃にはなかった習慣が普段は忘れているけれど少しずつ積もっている。彼と使っていた食器もあるいは欠けあるいは別のことに転用などして少しではあるが入れ替わっている。いま使っているポットもマグも当時はまだなかったものだ。

改めて思う。私はもう彼の歳を追い越してしまった。2歳年上であったものを。そうしてこの差がだんだんに開いていくという当たり前のことを思う。実を言うと自分が40歳だという自覚がわたしには薄いのだと思う。家人が誕生日を祝ってくれる――というよりは、その前日おもむろに「ごめんねえ、なにも準備してないの……」といって畳にのの字を書いてどんよりするといったほうが正しいかもしれない(1月はでも彼の仕事がとくに忙しい時期だから買物にいく時間がなかったのだ。そうしてまだネット通販というのは一般的ではなかった)――ことがなくなったからというのもあるが、それ以上に、ひとりになってから長患いをして家にいた期間が長かったこともあり、社会とのかかわりが薄かった分だけ、年齢を意識する機会が少なかったのだと思う。そうしてどこかで、彼と別れた時のまま自分の時間が凝っていたように思う。

でも精確には、わたしはもう誰の妻でもない。あるとき友人に指摘されたことがある。わたしはもう結婚してはいないのだ。誰かの妻だったことと誰かの妻であることとは同じではない。彼は死んだ。彼は自由になった。そうしてわたしも自由なのだ。わたしを縛る鎖は、もうこの地上にはない。

私は自分の人生を生きてみたい。過去であった人をそれぞれに大事に思う。でも過去に縛られたままではいたくない。これからの生をたんに余生としてではなく、それ自体なにかであるようなものとして生きてみたい。

ある知人に、それは夫だった人の納骨のまだ前であったが、「引き摺っている」とやや非難交じりにいわれたことがある。昨年の正月だったろうか。引き摺っている、というのはなにか切り離すべきものを不当に抱えているような響きがあって、そういうことではないと自分では思う。その一方で、わたしは彼を忘れないだろうとも感じている――彼より以前に出会った何人かの男の子たちと、同じように。もちろん過ごした時間の分だけ、彼の存在はわたしの中で濃いのだけれど。だけれど。

もういちど誰かを愛したい。その人にはたぶんまだであっていないのだろうけれど。誰かを愛し、そうしてしあわせにしてあげたい。個として愛情を注ぎ込む誰かに出会いたい、ときどきそういう思いを強く感じることがある。ドイツの語学学校で、作文の練習ということでグループで個人広告を書いたのだが、そのときにはクラスメートはわたしがしばらく前にひとりになったばかりということを知っていて、慰めるためか、わたしを素材にした広告を書いた。「私は日本人です。私は本を読むのが好きです。私はあなたを笑わせることが出来ます……」"Ich kann dich lachen machen" 私は・あなたを・わらわせることが・できます――それが数週間を一緒に過ごした後、友人たちが見つけたわたしの人物像だったということを、とりわけ自分が悲嘆の中にいた時期だったからか、わたしは奇妙な感動とともにいまでも覚えている。

ひとりでいることはさびしい。慰めてくれる人がいないからだけではなく、いやそれ以上に幸せを分かち合う人がいないから寂しいのだと思う。いつもではないが、ときどき自分が寂しいのだということを痛切に感じることがある。生前まだうつを発病する前の彼とした会話がそんなときに蘇る。
「ぼくがいなくなったら」彼はいって、「いい人をみつけて、しあわせになってね。それでね、でもね、ときどきはぼくのこと思い出してね」
「あなた先に逝かないってお約束したじゃない! あの約束はどうなったの」わたしがなじると
「いや、その、お約束はお約束だよ。破らないよ。でももし万一ということがあるかもしれないから……」
「お約束したでしょ」
「はい、かあさん」
万一ということがあるかもしれないから。はからずもそうなった。そうして、寂しくて死んでしまいそうということはないけれど、いい人とであってしあわせになれればそれに越したことはないとも最近とみに思うようになった。彼が冗談まじりに予言したように。

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