なんということもない一日・お参り篇

*12月22日になって書いております。

お寺の最寄駅で義理の両親と落ち合い、タクシーを拾う。前線が近いそうで、生暖かい風が吹いている。いまはよいお天気だけど午後から崩れるのだとか。お寺の近くまでくると、「ここでいいですか」と運転手、門前からびっしりタクシーが停まっている。1ブロック前でおろされ、花屋や仏具屋の前を歩いてお寺までいく。これは相当混んでいるな、また1時間待ちかしらと覚悟したがそうでもなかった。

墓参りの人が多かったのだろうか、境内にはみっしり人がいて、墓地のほうお骨仏のあるお堂のほうはずいぶん混雑していたが、本堂に入ると拍子抜けするくらいひそりとして、読経を待つのはせいぜい5組かそこらくらい、すぐに番が来た。戒名をつけてもらってないので、卒塔婆には俗名が書かれている。それを仏壇の下から見上げていると非日常的な違和感と諦めと懐かしさがまじったような不思議な心持がしてくる。納骨のときは泣けてしかたなかったのだけど、この日は涙が出なかった。1分ほどの読経があってそれで終い。お参りの記念に落雁をいただいて、今度は駅までの道を歩いて帰ると、行って帰って1時間たっていなかった。

ごはんを三人で食べて、なかなか渡せなかったエジプト土産を渡して、駅で別れたら2時すこし前、本屋へ寄って、お茶を飲む。窓の外をぼんやりと見ていると若いカップルが何組も通っていった。ああ、幸せそうだなあ、と素直に思えて、そのことが何だかすこし嬉しかった。カップルを見るだけで(とくに駄目なのが若い子連れのカップルと逆に老夫婦)突き刺さって数日外に出られないほど落ち込んだ時期もつい数年前にあって、それをただそのような出来事として覚えている自分にすこし安堵した。