お葬式・2001

私は7年前に夫と死別した。12月のことで、ちょうど7年前のこの日、葬式を出した。きょうはその話を書こうとおもう。思い出話というよりは、なるべく実務的に。最近、匿名ダイアリーからはじまったのか、お葬式に関する議論が出てくる。このエントリはそれらの議論への応答でもある。

すでにブックマークコメントや別エントリでも書いたが、私自身は葬送儀礼にもそのあとの祭事にも意義を認めている。いっぽうその形式についてはそれほど伝統主義者ではない――キリスト教という日本土着の宗教でないものに共感し、一方で正式には信徒共同体の一員ではないという割合微妙な立場にいるため、伝統によった主張をしにくいという個人的な事情もある。亡くなった人はわたしと違い、キリスト教に一定の理解はあったが、本人の自覚ではあくまでも門徒だった。ただ、彼が強い信仰を持たなかったせいもあって、それで葬儀とそのあとの弔いについては、かなりわたしの意向が反映されて宗教色の薄いものになっている。もちろん、生前たまたま聴く機会のあった彼の意向――簡素にして大げさでなく親しいひとたちに送ってもらいたい――を最大限には反映しようと努めはした。

まず金額だが、内訳は葬儀に約50万、埋葬と永代供養に約5万11万5千円*1、あわせて55万円弱60万前後(四捨五入)。年金組合故人の加入していた年金組合だか保険組合だか*2から葬儀に際して40万が支給された。また、基本的にお断りはしたものの、いくらかご香典もいただき、一部は葬儀代に充てた。なので葬祭のために格別の出費をしたという気はしていない。なお墓は作っていない(後述)。

葬儀は無宗教だった。遺体を安置するのに1室、10畳くらいはあったかもしれない。別に告別式に30人ほど入る集会室を1室借りた。親族控え室等は借りていない。会館のロビーですませた。食事は頼んでいない。他に遺体を警察から搬入するのと、葬儀場から斎場(火葬場)まで搬出するのに車を頼んでいる。告別式では祭壇といってもごく簡素な写真と若干の花を飾るものを選びこれは最低金額のものにした。司会の人がひとり、会場係がひとり、計2人のスタッフがパッケージで付いてくる。会場ではフォレの『レクイエム』を流した(これはわたしの好み)。テープは自分で用意し、会場でラジカセをこれは無料で貸してくれた。市役所への書類提出や許可証の入手などは葬儀社でやってくれた。その費用が総額で約50万円になった。葬儀場は公益社 http://www.koekisha.co.jp/ というところである。全国各地にあるのじゃないかと思う。大阪・兵庫・東京に支店があるようだ。京都にも同名企業 http://www.koekisha-kyoto.com/ があって、ここもそれなりによい評判をきく。

なお火葬場には親族のみ15名弱が行った*3。ここでも部屋は特に頼まず共用のラウンジを使った。喫茶のサービスがあり(有料)、お茶は頼んだ(お茶代で7または8千円ほどか)。そのあと一緒に食事をした。これは義父が支払い、おそらくは総額10〜15万円程度の出費をしたのではないかと思う。上の内訳にその金額はいれていない。いれると75万から80万ということになる。

わたしは葬儀のときすでに教会に通いだしていたので、自分の費えで仏式の葬儀をするつもりにはなれなかった。一方で自死であり、教会で葬儀をしていただくということはたとえ信者であっても難しかっただろうと思う。それで、葬儀の形式は無宗教とし、僧侶等は招かず、参会者が献花するという形にした。特に祭壇を設けたりはせず、献花台はあったが大量の花で飾るということはしなかった。ただ親族が花を届けてくれたので、さほど寂しい感じにはならなかった。参列者は親族と職場のセクションの同僚、大学の研究室の恩師や先輩と同級生まで、これは上司および義理の両親と相談して決めた。総じて25人前後と予想されたので、花は切りのいい数を選び32本を頼んだ*4

通夜はしていない。葬儀は死んだ次の日の午後に出した。火葬場の時刻が決まり、それにあわせて告別式の時刻を決めるということで、午後ということは前日にわかっていたのだが、実際に葬儀の時刻が決まったのはその日の早朝であった。ずいぶんと慌しいことで、参列者の方にはご迷惑をお掛けした。いまから考えると、もう一日づつ繰り延べて、土曜日に通夜、日曜日に告別式でもよかったような気はするが、たぶん自分たちの処理能力を考えると、短く済ませて正解だったのだろう、連日人と会うというのは嬉しい反面たぶん相当程度には負担になっただろうし、また費用も50万弱ではおさまらなくなっただろうとは思う。

埋葬だが、これはどうするか決めるのに相当の時間を要した。結局は大阪の一心寺(http://www.isshinji.or.jp/)に預けた。墓は作らず、幾人もの骨を集めて仏像にするという。次の「お骨仏」はほぼ10年先の開眼ときいている。義理の両親の意向で永代供養も頼んだので、5万円ほど納骨料1万5千に加え永代供養料10万円を納骨のときに納めている。永代供養がなければ、1万円から2万円ほどの寄付でよいそうだ。戒名は付けていない。

一心寺に預けるまでにはそれなりに紆余曲折があった。先祖代々の墓というのはあるが、これは義父が分家であるので、直には入れないといわれた。同じお寺にするにしても新しく作る必要がある。ちょうどそのころその寺で納骨堂を作るという話があったそうだが、それでも300万円は掛かり、それに年々のご挨拶があるという話だった。金額もさることながら、お寺とずっとお付き合いしなければいけないというのがわたし自身にとっては苦痛に感じられ、ひっかかりのあるところではあった――そうであればわたし自身の自覚とは関わらず外形的には仏教徒であるということになる――。いっぽう義理の両親にしても、それぞれに意見と感慨があり、お墓をどうするということについては、すぐに明確な意見は誰ももたなかった。「こういうものがあるらしい」「こういう話がある」というようにして、お墓の話題が出ては消えた。一心寺の話を最初に聞いてきたのは義母で、彼女は虚礼を嫌いしたがって薄葬を尊ぶ人なので、これを魅力的だと思ったらしい。そうして、仏教式ということにわたしの抵抗がだんだんに消え(なんといっても葬られる人は仏教徒だったのだから、仏教式にするのでもいいような気がしてきた)、最終的に一心寺に納骨した次第である。

納骨堂の話が来たのは、親戚からだった。いわゆる本家ということになって、こちらへは毎月お寺から人が来る。というわけでお寺へも話は随分前からいっていて、お墓をどうするかはともかくお彼岸の法要で一緒に供養しようかとお寺から声を掛けてくださったこともある。営業というようなことをいう人もあるかもしれないが、わたし自身はこれを素直にありがたいと思っている。若住職は知人の知人くらいの間柄で、学会でも見かけたこともあり、その人に供養してもらうのは悪くない話にはおもわれたが――でも、どこか自分の心にブレーキが掛かっていて、その話は結局お断りした。よりありがたかったのは、親戚から強くどうしろという話が出なかったことだ。本家からは、二つ釘を刺された。でもどちらも常識的な要求だった。当主からは「墓はみんながお参りできるような近いところに作ってくれ、聞いたこともないような遠いところにはしないでくれ」というごく自然な情の発露とも思える要求があり、またその妻である人からは、これはどちらかというとそのときのわたしへの苦言で「自分ひとりで事を進めるな、何をやってもいいけれどそれは彼の実家(つまり義理の両親)に報告しろ。あなただけの彼ではないのだから」ということで、これもいわれてみればもっともなことだった。それをいってくれた彼女には深く感謝している。

葬送というのは、亡くなった人と自分の関係だけでは量れないものだということは、歳月を経るにしたがって感じる。親戚や近隣の社交の場になっているという違和感をネットでもみるが、それも程度の問題なのではないかという気がする。葬儀やその後の一連のことどもというのは、個人やあるいは家族といったごく少数の人間の仕事ではなく、故人と関わりのあった人たちの共同の喪の仕事(グリーフ・ワーク)なのだろうと今では思っている。そうはいっても、たんにしきたりだからと心のない形式を守ることにも意味はない。それで癒される人が皆無ならば、そんなものは喪の仕事とはいえないだろう。それで、かかわりのある人たちが納得できる仕方で葬りを行うということが大事なのだと思っている。この7年間、納骨までは6年半ほどか、わたしたち家族や親戚あるいはお寺の間では、いろいろな話をした。偶然だが若住職と葬送のあるべき形について意見を交換する機会をもったこともある。わたしたちの葬りが「よい葬儀」であったかはわたしには判断しがたい――ただ、誰も不平や不足を鳴らすことがなかった、ただ静かに語りあうことができた、その間にいろいろに互いの死生観や故人への思いを確かめあう多くの機会をもったことは、幸運なことだと思っている。

Inspired by:

関連エントリ:

*1:http://www.isshinji.or.jp/osegaki.html により訂正した。

*2:http://d.hatena.ne.jp/muffdiving/20080817/1218982782をみて記憶の誤りに気づき、訂正した。

*3:より正確には、加えて彼の友人がひとりやってきた。遺体を焼き始めるまで付き添ってくれたが、すぐに帰った。

*4:花は1本が100円かすこし上だったと思うのでこのあたりをどうするかで総費用はだいぶ変わるだろうと思う。